ホンダ四輪、アジアで逆襲 タイ一極集中を転換

 ホンダが出遅れた東南・南アジアの四輪車市場で事業戦略を転換する。インドネシアで小型ミニバンを開発し、販売するなど、国ごとに売れ筋車種を投入。現地での生産能力も大幅に増強する。アジアでは「タイ一本足」といえるほど一極集中が進んでいたが、開発、販売、生産などの面で国や地域に応じたきめ細かな戦略を立て、新興国市場を開拓していく。

 インドネシア・ジャカルタ近郊のカラワン。1月に稼働した新工場で小型ミニバン「モビリオ」が数珠つなぎに流れる。塗装済みの車体からドアをいったん取り外し、2階でガラスや電子部品を組み付け、1階の車体と再合流する。アジアでは珍しい2階建て工場は、既存工場の狭い隣接地を有効活用するためだ。

■インドネシア本格参入

 レイアウトの工夫で確保した年産能力12万台はすでにフル稼働。モビリオの販売が好調なためで、4月は約7800台と車種別でトヨタ自動車「アバンザ」(1万4千台)に次ぐ2位につけた。

 同国の1〜4月の新車販売は44万台。30万台のタイを抜き、東南アジアの首位だ。市場の3割超は排気量1300〜1500ccの小型ミニバンが占める。日本車を軸に20車種以上がひしめく激戦区に、ホンダはモビリオで初めて本格参戦した。

 転機は3年前。今はインド法人社長の松本宜之常務執行役員が小型車部門の責任者に就くと、すぐに販売不振のインドネシアへ飛んだ。そこで目にしたのは小型車「ジャズ」(日本名フィット)などニッチな市場でそれなりの成功に安住する姿だった。「売れ筋の車種がないことに疑問すら持っていなかった」と松本常務は振り返る。

 インドネシアでの攻勢は、ホンダの世界戦略の一大転換を象徴する。

■新興国で出遅れ

 ホンダはかつて一本足といわれるほど北米市場に依存し、量販車「アコード」「シビック」などを投入した半面、新興国で出遅れた。ツケは2008年のリーマン・ショックで噴出。北米市場が落ち込み、ホンダの業績も急降下した。伊東孝紳社長は成長するアジアへ軸足を移すと宣言した。

 アジアでは「アジアカー」として開発した「シティ」を、1996年からタイで生産・販売。が、翌年のアジア通貨危機で域内展開の構想は頓挫し、タイが突出するいびつな状況を生んだ。

 そのタイでも政府の小型車優遇策「エコカー計画」のため11年に開発したブリオは今年3月の販売がわずか160台にとどまる。全長が3.9メートルと競合車に比べ短いことが敬遠された。インドで4メートル以内の車が税制優遇を得られることを念頭に、「地域戦略車」にしたことが裏目に出た。

 アジアは各国の生活習慣の違いを映し、人気車種が異なる。それぞれの市場規模は小さいが、国の実情にあった車を用意する必要がある。先導役のタイがまず地域モデルをつくり、短期間で各国に合うよう仕様変更する。これがホンダのアジア攻略の新方程式だ。

 ディーゼルエンジンを搭載しインドで快走するセダン「ブリオ・アメイズ」もブリオを基に開発した。地域統括会社アジアホンダモーターの安部典明社長は「アジアが自ら“料理”できる車を手にしたことは、開発期間の短縮とコスト低減の両面で重要」と話す。

 ホンダのアジア大洋州(中国は除く)の販売目標は16年度に120万台。世界販売に占めるアジア比率は13年の13%弱から20%へ急上昇する。低価格車の比重が大きいアジアに軸足を移し、それでも利益率を落とさないためには、開発や生産、調達のさらなる現地化が避けて通れない。

 バンコク=高橋徹

nikkei.com(2014-06-12)