ノーベル賞級への黄金律 認められる1%にかける

 アジア各国の中で唯一、ノーベル賞受賞の研究者を輩出する日本。理化学研究所の「STAP(スタップ)細胞」論文問題で揺れるが、科学技術力はニッポンの活力源だ。先駆者(イノベーター)になるには世界の研究者と闘う論理性、実証力が問われる。独り善がりの研究は認められない。ノーベル賞級の成果を上げた研究者の条件、黄金律を浮き彫りにする。

 研究分野は違ってもまず共通するのは、並はずれた好奇心と執念だ。

 免疫をつかさどる分子「IL―6(インターロイキン6)」の遺伝子を1986年に発見した岸本忠三・大阪大学特任教授は「真理を追究すれば、おのずと役に立つ成果が出る」と明かす。

 「免疫とは何か」から研究は始まった。日々、世界中で多くの研究論文が発表される。先を越されたと諦めたらそれまでだが、真理の追究には終わりはない。この後、研究成果をもとに中外製薬が製品を開発、産学連携の成功モデルとなった。分子の発見は、IL―6の作用を抑えて痛みを鎮めるリウマチ薬などにつながった。

 最近の研究者は2〜3年ですぐに結果が出る研究を好むと言われるが「安易な研究テーマは選ばない」(岸本特任教授)。この覚悟が未踏の研究領域を開いた。

■失敗あきらめず

 日本の研究者は主要論文誌に年間7万本を超す論文を出すが、世界が強く関心を示す論文は1%にも満たないとされる。海外の研究者と共同研究する論文は年間2万本あるが、複数の国の研究者が参加する論文は1割程度とみられる。世界の舞台で認めてもらうには、好奇心だけでは不十分だ。独善的な持論や思い過ごしでないことを証明する力が必要になる。

 研究現場では論文の発表は国内外の研究者に論争を吹っ掛けたに過ぎない。画期的な発見や理論であるほど真偽の追及は厳しい。自分の仮説をだれもが分かるように実証してみせる能力が問われる。実験手順が明快なほど結論は説得力を持つ。「ひょっとして」を自らの実験の力で確かめられる研究者はひとつ上の世界で戦える。

 東北大学の中沢正隆教授は、光ファイバーにエルビウムという物質を混ぜて、半導体のレーザーを通す装置を試作したのが転機になった。

 「何気なく試してみた」というアイデアは、光ファイバーの光が強まる現象の発見につながった。光信号を増幅して遠くまで減衰せずに伝える通信技術の芽生えだった。

 省エネ半導体「IGZO」を開発した東京工業大学の細野秀雄教授は「あれ、これは不思議だな」から成功物語が始まった。IGZOはもとをたどれば「できそこないのガラス」。酸化物の薄膜結晶が、実験の失敗でアモルファス(非晶質)になった物質だ。ここで電気が流れないとあきらめず、詳細な実験によって新しい半導体の材料になるとの勘が働いた。

■山中氏とタッグ

 独創的な発想が飛躍的に発展する瞬間、そこには仲間や右腕ともいえる存在が欠かせない。大阪大学の澤芳樹教授は、iPS細胞を使って心筋細胞のシートを作り、心臓の機能を40〜50%回復する実験にブタで成功した。研究がぐんと進んだきっかけは一本の電話だった。「一緒に研究しませんか」。相手は京都大学の山中伸弥教授。阪大が再生医療研究に取り組んでいると聞いて問い合わせてきた。

 東京農工大学の遠藤章特別栄誉教授は動脈硬化を防ぐ物質「コンパクチン」を青カビから発見した。「菌が作るはずはない」という反論に答えるため、研究室に寝袋を持ち込み、泊まり込みで実験を繰り返した。通常の研究者なら1年程度であきらめると言われるが、実に2年間を費やし、菌の探索に没頭。調べ上げたキノコやカビは6000株に達し、やっと探り当てた。

 だが再び壁に阻まれた。今度は物質の毒性が疑われた。当時、勤めていた三共(現第一三共)の許可が下りないなか、手を差し伸べたのは大阪大学病院の医師。コレステロール研究の権威だった米テキサス大の研究者も支援した。コンパクチンは動脈硬化症の治療や予防の薬に生まれ変わり、大ヒットとなった。

 研究の原動力は自分を信じる気持ちだ。青色発光ダイオード(LED)の開発で知られる米カリフォルニア大学の中村修二教授は、自身の実験計画を最も重んじる。人のやり方をなぞっても道は開けない。

 スタップ細胞の論文問題に揺れる日本の学会。様々な試練を克服してきた「知の巨人」の偉業を思い起こし再び奮起すべき時だ。(山本優)

日経産業新聞(2014-04-04)