異例の連続リコール ホンダを襲う成長痛

 「次は許されないぞ」――。順風満帆に見えるホンダで、社長の伊東孝紳をいらだたせる問題が発生した。看板車種「フィット」の新モデルで、わずか半年間で3度も繰り返したリコール(回収・無償修理)だ。「技術のホンダ」に何が起こっているのか。

■「坂道で止まったままなんです」

 昨年秋、関東地方のホンダ車の大手ディーラーの電話が鳴った。

 「フィットが坂道で止まったまま、発進しないんです。どうなっているんですか!」

 電話の向こうのドライバーは、新型フィットのハイブリッド車(HV)を10日ほど前に買ったばかり。そのピカピカの新車が異常を起こし、立ち往生してしまったというのだ。

 電話を受けた従業員は、上司に「どうすればいいんですか」と慌てて相談した。すぐに車両を回収するためのトラックを手配し、大事には至らなかったが、後になって購入代金の全額、約170万円を返金することになったという。

 新型フィットは小型の5ドア車で、昨年9月にホンダが発売。なかでも、フィットHVはガソリン1リットルあたりの走行距離が36.4キロメートルと燃費が発売時点で世界最高。発売してすぐ人気車種に躍り出て、このディ−ラーでも好調な売れ行きが続くと期待していた。

 ところが、発進時に不具合が起きるという顧客からのクレームは、その後も相次いだ。

 「今回のフィットは一体、どうなっているんだ」

 このディーラーの経営者は、度重なる不具合の報告にイライラしていたが、しばらくすると、理由が分かった。発売から1カ月たった昨年10月、ホンダが国土交通省にフィットHVのリコールを届け出たのだ。

 不具合の原因は、「デュアル・クラッチ・トランスミッション(DCT)」と呼ばれる自動変速機を制御するプログラム。エンジンとモーターを組み合わせて動かすHVシステムの基幹部分だけに、ホンダもすぐに対策を打ったが、ボーナス商戦が佳境だった12月に再びリコール。そして、年明けの2月にもリコールを届け出た。

 原因は、3回とも同じ制御プログラムだった。

■3回連続は未知の体験

 同じHVシステムを搭載する車種も合わせ、リコール対象は8万1353台。最近、トヨタ自動車や米ゼネラル・モーターズ(GM)が起こした「100万台単位」のリコールと比べ、対象台数は少ないが、同じ原因で3回もリコールが続いたことが異例だった。この半年間、ホンダは未知の体験と不安にもがいていたのだ。

 ホンダは「お客様に多大な迷惑をかけており、全力で対応を急いでいる」と説明しているが、新車投入から半年間で3回もリコールを繰り返すのはホンダ車で初めて。2月に届け出た3度目のリコールでは、工場出荷や販売店での引き渡しはいったん見合わせ、販売を事実上ストップさせた。

■落ちたカミナリ

 自動車メーカーは多くの場合、混乱が広がらないように、不具合の解決策が整ってから、リコールを届け出ている。しかし、フィットの3度目のリコールについては、国交省は「早め、早めに届け出るように」と急かすような姿勢を見せていたという。

 その背景について、ある国交省幹部は「フィットは、かなりの注目車種。起きている事象も事故につながりかねなかった。修正プログラムの準備ができたかどうか、に関わらず、とにかく早く届け出てもらった」と打ち明ける。それだけ、フィットの不具合に神経質になっていた。

 伊東らホンダの経営陣も同じ気持ちだった。リコールは、一つ対応の仕方を間違えれば、自動車メーカーにとって大きなダメージとなるからだ。ホンダが築いたブランドや信用、そして伊東らの経営努力を無にする致命傷になってしまう。

 伊東が社長に就任したのはリーマン・ショック直後の2009年。ホンダが得意とする米国も、日本も、欧州も、需要が蒸発したかのように消えていた。それ以降も東日本大震災や円高に襲われたが、伊東は立て直しに奔走。まず軽自動車の「N BOX」を11年末に発売、乗用車市場で起きる「軽シフト」で台風の目になった。

 消費増税前の駆け込み需要の追い風もあり、国内販売は2001年度に記録した過去最高の89万2千台に迫ろうとしている。業績も、もうすぐリーマン前の水準に戻るほど回復してきた。その矢先に起きたのが、フィットHVのリコール問題だった。

 ホンダ関係者によると、リコール騒動のさなかに、伊東は、本田技術研究所の四輪R&Dセンター(栃木県芳賀町)を訪れ、強い口調でカミナリを落としたという。

 「次は絶対に許されないぞ」

 伊東は、ホンダ車を開発する技術者たちに対し、リコールが再び起きないよう、HVシステムそのものや今後発売予定の新モデルの安全性を入念にチェックするよう、くぎを刺したという。

 安全性で失態が続けば、消費者の信頼を損なってしまうと伊東は恐れていたのだろう。そして、せっかく看板車種に育てたフィットが受けるダメージを最小限にとどめたかったのかもしれない。

■「世界同時立ち上げ」の代償

 初代フィットは2001年に発売され、この10年あまりで販売地域はインドなど新興国にまで広がった。世界全体の販売台数は、45万台(派生車含む、2013年)にまで増えている。販売台数では、「シビック」(69万台)や「アコード」(67万台)、多目的スポーツ車の「CR―V」(74万台)といったホンダの3本柱に迫る規模に育ってきたのだ。

 ホンダの工場投資計画を眺めれば、経営陣が期待の「伸び盛り」の車種に位置付けていることは、一目瞭然だ。2月には、フィットなど小型車専用の工場をメキシコとインドで完成。2015年にはブラジルでも稼働する。フィットはホンダのグローバル戦略に欠かせない存在になっている。

 そんな看板車種で繰り返されたリコール問題。なぜ、こんな事態が起きたのか。

■頭脳集団の疲弊

 あるホンダ社内関係者は、「ホンダそのものの戦線が広がり、これまでになく研究所の負荷が高まっていることが一因ではないか」と解説する。つまり、ホンダが成長を求めるあまり、自慢の技術者集団が疲弊しつつあるのではないか、という指摘だ。

 例えば、新車の「世界同時立ち上げ」。日本や北米、アジア大洋州といった世界6地域に向けて、新モデルを同時に開発し、およそ1年以内に各地に投入する手法だ。狙いの1つは世界規模でまとまった生産台数を確保して、部材の調達コストを大幅に引き下げることだ。

 しかし、世界中で同じ車が好まれるわけではない。現地の人々に受け入れられる内装やデザインを反映するため、設計は少しずつ変える必要がある。そのため、どうしても開発現場は忙しくなってしまうのだ。

 新型フィットは、その先行例。開発作業に携わった技術者によると、「旧モデルの6倍の開発要員が欲しかったところだったが、結果として、2.5倍の規模でこなした。それだけ効率的になっているといえるし、現場の技術者への重圧は高まっているともいえる」。

 ホンダは研究所に約1万人の技術者を抱えているが、彼らこそ「技術のホンダ」を支え、ホンダ車の魅力、そしてホンダという会社の競争力をつくりあげてきた。伊東を含め、ホンダの歴代社長がいずれも研究所出身者である理由も、そんなところにあるのかもしれない。

■「国内100万台」に暗雲

 しかし、その「ホンダの頭脳」が疲れきってしまえば、新車開発に影響が出てくるのは避けられないだろう。国内の営業部門では、一部で「遠からず、販売や業績にも影響が出てくるのではないか」という心配の声も少しずつ出てきている。

 「2014年度に、6つ新モデルを発売する新車計画は、大丈夫なのか。フィット問題が起きてから、研究所の技術者たちは開発の考え方や具体的な手法を総点検し始めている。その作業に手がとられ、新しい車種の開発や仕上げに支障が出てもおかしくない。我々の悲願である『国内販売台数100万台』の達成も難しくなってきているのではないか」

 フィットのリコール問題をきっかけに、国内100万台の販売達成の前提である新車の開発や投入が遅れる恐れがあるのではないか、とも見られているのだ。

 国内営業のトップである専務執行役員の峯川尚が「100万台を目指し、攻めていく」とぶちあげたのは、昨年11月に大阪市で開いたディーラー大会。当時は「N BOX」のヒットで自信を深めていた。

■トヨタやVWは「1000万台クラブ」に

 国内販売100万台という大台を突破すれば、ホンダが1963年に四輪車へ参入して初めての出来事になる。国内営業部隊にとっては大事な節目だったが、けん引役となるはずのフィットがリコール問題という誤算に見舞われ、ホンダの前には暗雲が広がりつつある。

 3月に入ってから、ある独立系のホンダ販売店を訪ねてみると、その社長が販売データを眺めながら、ため息をついていた。手元の数字は、フィットの販売台数が落ちていることを示していた。

 「最大の原因は、消費増税前の駆け込み需要がしぼんでしまったことかもしれない。しかし、何度も繰り返したリコールによって、マイナスの効果が出てしまっているのは間違いない」

 3度目のリコールに伴う出荷停止の影響もあり、絶好調だったフィットの販売に一部で衰えが出てきているのだ。ここをホンダが乗り切れなければ、影響は日本国内にとどまらず、新型フィットの世界展開への懸念も膨らんでしまう。

 あるホンダ幹部によると、「効率を重視した開発体制の改革が、フィット問題の一因だと思う。しかし、その改革は簡単にやめられない」という。伊東ホンダが進める改革は、ホンダがグローバル競争で生き残るためには不可欠な発想だからだ。

 伊東が「2016年度に世界販売台数600万台」の目標を掲げたのは、2012年の秋。ホンダの歴代社長は量的拡大と一線を画しており、具体的な数値目標を設定したのは初めてのことだった。

 自動車業界では10年あまり前にも、「400万台クラブ」といった流行語が生まれたが、今やケタ違いの規模をライバルたちは競いあっている。トヨタや独フォルクスワーゲン(VW)などは、「1000万台」をうかがう勢いで成長している。

■「4倍速」の成長にリスク

 自動車ビジネスは、いい車をつくっても、一定の規模を手にしなければ、先端技術の開発競争、部品調達などのコスト競争に打ち勝てない。伊東が「貪欲に規模を追わなければ、世界で戦えない」という危機感に突き動かされても、おかしくないのだ。

 問題は、ホンダが求める成長スピードかもしれない。ホンダの世界販売台数は2013年度で約440万台の見通し。過去10年間を振り返ると、リーマン・ショック後の需要急減にも見舞われたが、販売台数自体は140万台ほど増えている。

 ならば、伊東が掲げた目標を達成するには、どのくらいのペースで、これから販売台数を上積みしていけばいいのか。

 答えは、今までの4倍近いスピードだ。

 ホンダは過去10年間、販売台数を年平均で約14万台ずつ増やしてきた。しかし、600万台の目標達成には、向こう3年は年平均で50万台超の販売台数の積み増しが必要な計算になる。

 そんな「4倍速」の成長を追っていけば、その分、開発部隊への負担が重くなって当然だ。そもそも研究所の技術者たちの仕事は、フィットなど「今の車」だけをつくることだけではない。

■「ホンダらしさ」への難題

 自動車レースの最高峰である「フォーミュラ・ワン(F1)」の再参戦、究極のエコカーとされる燃料電池車の実用化……。最先端の車や将来技術を巡る開発競争は激しさを増している。

 ホンダは昨夏、燃料電池車技術で米ゼネラル・モーターズ(GM)と提携したが、あるライバルの幹部は、「単独より共同開発の方がコストは安く、スピーディーという判断を下されたのでしょう。ホンダさんも昔とは違う。効率も考えざるをえなくなっているのではないか」と分析している。

 世界販売台数600万台、それを支える車づくりの変革――。両方とも実現できれば、ホンダは規模と質を兼ね備えるメーカーに脱皮できるが、二兎(にと)を追うのは初めての体験だ。

 それは、「規模」をあえて目標に掲げず、「ホンダらしいクルマ」を追い求めてきたホンダにとって、想像以上に難題なのかもしれない。フィットのリコール問題があぶり出した社内のきしみは、ホンダが一皮むけるために味わった成長痛といえる。

 その痛みに耐え、もう一回り大きくなれるのか。伊東ホンダが試されている。
=敬称略
(緒方竹虎)

nikkei.com(2014-03-24)