決壊するウィンドウズ帝国 マイクロソフト、迷宮に

 落ちていくか、巻き返すか。米マイクロソフトにとって、2014年は再起のラストチャンスだ。新しい経営トップが決まらないなかで、創業メンバーからは「分割せよ」との声まで出てきている。ソニーや東芝などパソコン時代の仲間たちは、沈むウィンドウズ帝国の余波におびえている。

■VAIOの里の心配が的中

 北アルプスの麓、長野県安曇野市。ソニーのパソコン工場は「VAIO(バイオ)の里」と呼ばれ、地元やパソコン愛好家たちに親しまれてきた。その工場の従業員たちがひそひそ話をするようになったのは、昨年の年の瀬のことだった。

  「12月13日の金曜日に何か発表があるらしいけど、本当かな?」

 「このままではバイオの里がバイオの墓になってしまうかもしれない」

 ちょうど、ソニーが石川県能美市の配線基板工場を売却するニュースが流れた直後。従業員たちは「次は我が身ではないか」と、大規模なリストラを心配していたのだ。多くの工場従業員が「Xデー」と考えていた13日、安曇野の工場を巡るリストラ計画などの発表はなく、取り越し苦労に終わったかにみえた。

 ところが、翌週に入り、嫌な予感は的中する。

 「早期退職支援プログラム」のお知らせが回ってきたのだった。ターゲットは国内の組み立て工場で、もちろん、安曇野のパソコン工場の従業員も対象だった。

 「もう次は閉鎖かもしれない」「それとも、身売り?」……。安曇野の工場従業員たちは不安を抱えながら、新年を迎えた。

 ソニーは東芝とともに、今もマイクロソフトの「ウィンドウズ」を基本ソフト(OS)に搭載したパソコン陣営の一角を占める。バイオを1996年に売り出し、「世界最薄パソコン」で一世を風靡したこともあった。

 しかし、サクセスストーリーはもはや遠い過去だ。昨年4〜9月のパソコン販売台数は前年同期に比べて2割以上減り、営業赤字の計上を迫られた。苦戦ぶりは誰の目からも明らかになっている。当然、ソニー本社でも危機感が高まっていた。赤字続きのテレビにパソコンの不振も加われば、経営はますます厳しくなるからだ。

 あるソニー首脳はパソコン事業の苦境について、打ち明ける。

 「テレビは9年も赤字が続いているが、テレビという商品そのものは残る。しかし、消費者向けのパソコンはタブレット(多機能携帯端末)やスマートフォン(スマホ)におされ、世の中から消えてしまうかもしれない。このままなら、パソコンはソニー最大のお荷物になってしまう。彼らの話を信じていたのに、失望した」

 関係者によると、ソニーを失望させた「彼ら」とは、マイクロソフト。発端は2年前の極秘会談にある。

 2012年1月。年明け恒例の米家電見本市「CES(コンシューマー・エレクトロニクス・ショー)」の開催時期に合わせて訪米したのは、当時のソニー副社長、平井一夫。社長兼最高経営責任者(CEO)に指名される直前で、パソコンを含めたエレクトロニクス事業を任されていた。一方、マイクロソフト側はCEOのスティーブ・バルマーだった。

■「一緒に巻き返そう」と言ったのに

 2人の話題がパソコンに及んだとき、バルマーは平井に熱っぽく語りかけたという。  「新しく出す『ウィンドウズ8』で一緒に巻き返そう。パソコン、タブレット両方の機能を兼ね備えるウィンドウズ8が最後は勝つ」

 マイクロソフトは当時、2012年秋に売り出すウィンドウズ8で、米アップルや米グーグルが強いタブレットなどに反撃していく戦略を練っていた。バルマーが平井に熱弁を振るった理由の1つは、「ウィンドウズ反攻作戦」の同志として、ソニーとの関係を固めたかったからに違いない。日本法人の幹部らも、繰り返しソニーを訪れ、ウィンドウズ8搭載パソコンの開発を手助けした。

 結果は残酷だった。ソニーはウィンドウズ8を搭載し、タブレットのようにも使えるパソコンを次々と投入したが、思うように売れなかった。

 昨秋、平井らソニーの経営陣が今後の事業方針を議論した経営会議。予想以上の業績の悪化に、パソコン事業の担当幹部は「ウィンドウズ8の力を読み違えた」と唇をかんだ。

 辛酸をなめたのは、ソニーだけではない。他のパソコンメーカーも苦戦している。ウィンドウズ8は「タイル」のような形の大型アイコンを採用し、タッチパネルでも使いやすいようにデザインを工夫したが、見た目や操作方法が一変したからだ。逆にユーザーからそっぽを向かれてしまった。

 事実、世界のパソコン市場はウィンドウズ8が発売された2012年以降、縮んでいる。米IDCの推測によると、2013年に世界のパソコン販売台数は前年比10.1%減少。落ち込み幅は過去最大という。最新OSを投入しても、パソコン市場の縮小に歯止めをかけられなかった。

 ユーザーのウィンドウズ離れの次に待っていたのは、ウィンドウズ陣営だったパートナー企業の「マイクロソフト離れ」だった。マイクロソフトはパソコン用OSで約8割の世界シェアを握っているが、パソコン時代に盟友だったパソコンメーカーが雪崩を打つように、グーグルの無償OSなどに向かっているのだ。

■インテル、東芝の変心

 昨年9月、米サンフランシスコ。世界最大の半導体メーカーである米インテルが開発者を集めて開いた技術説明会で、副社長のプレゼンテーション中、日本のIT(情報技術)大手幹部は耳を疑った。  「ついに東芝も、なのか……」

 驚いたのは、東芝の変心を知ったから。インテル副社長がプレゼンで明かしたのは、グーグルのパソコン向けOS「クロームOS」を搭載するノートパソコンを東芝が開発していることだったのだ。もちろん、インテルはクロームOSのための半導体をつくっている。

 インテルは、かつて「ウィンテル」という言葉ができるほど、マイクロソフトと蜜月だった。東芝も、ウィンドウズ搭載のノートパソコンで世界を席巻し、歴代の経営トップはマイクロソフト共同創業者、ビル・ゲイツらと親交を温めてきたことで知られる。そうした盟友にすら遠心力が働いているのだ。

 ウィンドウズを脅かすクロームOS搭載機の魅力は価格だ。無償OSであるため、ノートパソコンの価格を100ドル(約1万円)台に抑えられる。韓国サムスン電子から米ヒューレット・パッカード(HP)、米デルまで採用に動き、ITアナリストの間では「300ドル以下の低価格機市場では、20〜25%がクロームOS搭載品になる」ともささやかれている。

 実際、早くも異変が起きている。米アマゾン・ドット・コムは先月26日、クリスマス商戦の売れ筋商品ランキングを発表したが、ノートパソコンは上位3機種のうち2機種がクロームOS搭載機。タブレットやスマホで劣勢に立たされたばかりか、「パソコン=ウィンドウズ」という図式すら揺らぎつつある。

■株価がまるで死んでいる

 断トツだった過去、決め手に欠く今の現実。ギャップに戸惑っているのは、IT業界の盟友たちばかりではない。

 昨年11月中旬の米シアトル近郊。マイクロソフトが本社近くに用意した株主総会の会場は、まるで「お別れ会」のようなムードに包まれた。その3カ月前にCEOのバルマーが今年の夏までに退任すると表明し、経営トップとしては最後の総会だったからだ。

 会長のゲイツにとって、バルマーは右腕以上の存在だった。壇上でねぎらいの言葉をかけたときには感極まってか、目元にうっすらと涙を浮かべた。しかし、株主との質疑応答が始まると、場内の空気はがらりと変わった。

 「マイクロソフトの株価は、まるで死んでしまったかのようだ。なぜ動かないのか」

 シアトル在住のコンサルタントという一人の株主が、マイクロソフト経営陣に質問をぶつけると、会場内には株主の大きな拍手が広がった。バルマーら経営陣の顔はこわばった。

 マイクロソフトの株価は年初より30%以上も上がっているが、皮肉なことに、上昇のタイミングは、バルマーが退任を表明した昨夏。バルマーは「いい製品を出し、利益を上げれば、株価も反応するはず」と紋切り型の返答で切り返すのが精いっぱいだった。

■盟友が告げた「解体論」

 検索事業でヤフーとの提携、米フェイスブックへの出資・提携、そしてノキア(フィンランド)携帯電話事業の買収……。バルマーはCEOに就任した2000年以降、グーグルやアップルなどライバルを追いかけるため、M&A(合併・買収)など様々な手を打ち続けたが、後手に回っている場面が目立った。

 「改革のスピードが遅いのではないか」

 一部の取締役の間では、バルマーの経営手腕に疑問符がついていたとされる。昨年以降は、バルマーに「もっと早く動け」と迫る声も高まっていく。その末にバルマーが決断したのが、昨夏の退任表明だった。バルマーは追い込まれていたのだ。

 マイクロソフトが、米上場企業で時価総額の首位にたったのは1998年。しかし、この15年でアップルやグーグルに追いこされ、彼らの背中を仰ぎ見るポジションが定位置になっている。

 一般株主だけでなく、ゲイツの盟友だった大物株主も不満を募らせている。

 その株主とは、マイクロソフトをゲイツとつくった共同創業者のポール・アレン。今なお大量のマイクロソフト株を持っている大富豪でもある。彼の投資会社の幹部がマイクロソフトの解体案を唱え始めたのだ。

 「家庭用ゲーム機の『Xbox(エックスボックス)』など消費者向けのビジネスは分離した方がいい」

 アレンの真意は分からないが、「企業向けのビジネスと消費者向けを分割し、今のマイクロソフトは企業向けに集中していけばよい」というアイデアには説得力がある。今やマイクロソフトの稼ぎ頭は情報システム用ソフトウエアなど企業向けの製品。2013年7〜9月期の決算では、全社の利益の7割を近く稼ぎ出している。足を引っ張っているのは、ゲーム機など消費者向けのビジネスだ。

■近づくCEO交代

 マイクロソフトが企業向けに集中すれば、株主は満足するかもしれない。しかし、ネット社会を支えるIT技術で、消費者向けと企業向けの境目はますます曖昧になってきている。消費者向けのビジネスを捨てれば、IT業界での影響力は衰えていく。

 バルマーがCEOに就任した10年あまり前も「分割すべきだ」という声が出ていたが、発信源は、ウィンドウズの圧倒的な市場独占力を問題視した米司法省やライバル企業。強すぎるがゆえの解体論だった。ところが、今のマイクロソフトは、再生のための解体論にさらされている。

 会社の分割など、たやすく決められる話ではない。そして、今は決断できるはずがない。マイクロソフトは、バルマーの後を継ぐCEOを急いで探している最中なのだ。

 昨年のクリスマス直前、マイクロソフトの公式ブロクに突如、次期CEOの人選に関するコメントが書き込まれた。

 「候補者は20人程度まで絞り込んだ。2014年の早い時期に決めます」

 書き込みの主は、社外取締役のジョン・トンプソン。バルマーの退任表明後、沈黙を守っていたが、米メディアの報道の過熱ぶりを心配したのかもしれない。次期CEOの候補者には、生え抜きの幹部に加え、マイクロソフトからノキアCEOに転じていたスティーブン・エロップらの名前が挙がっている。

 もう1人、有力候補として騒がれている経営者が米フォード・モーターCEOのアラン・ムラーリー。米航空機大手ボーイングからフォードにスカウトされ、自動車の名門を再生させた立役者だ。ビッグスリー(米自動車大手3社)で唯一、フォードを経営破綻させずにリーマン・ショックを乗り切った。

■消えた悪名

 次期CEOを巡る報道合戦が激しくなっていた昨秋、一部の米メディアが、バルマーとムラーリーの密会をすっぱ抜いたことがある。それより1年近く前、2012年12月のクリスマスイブに、2人はシアトル郊外のスターバックスで会い、コーヒー片手にマイクロソフトの経営について話し込んだという。

 ムラーリーがビジネスマン人生の大半を過ごしたボーイングは、主力工場がシアトル近郊に点在している。同じくシアトル近郊に本社を置くマイクロソフトと近所のよしみでもあるのだろうか。

 マイクロソフト関係者によると、昨夏にマイクロソフトが実施した大規模な組織再編も、ムラーリーのアドバイスを受けてバルマーが考えた改革プランの1つだった。誰がマイクロソフトのCEOになるかはいまだ分からないが、社外の知恵を頼るほど、バルマーとマイクロソフトの悩みは深かったのだ。

 「唯我独尊」「悪の帝国」「憎たらしいほど強い」――。今までマイクロソフトにつけられた数々の悪名は、もう誰も使わなくなっている。ゲイツ、バルマーの後を継ぐ3代目のCEOは、何を改革のよりどころにするのだろうか。
=敬称略(奥平和行、多部田俊輔、深尾幸生、斉藤美保)

nikkei.com(2014-01-06)