“車の中”を飛び出したホンダの「RoadMovies」
300万ダウンロードを記録した人気アプリ開発秘話

 まずは、こちらの動画を見ていただきたい。できれば、音が聞こえる環境でご覧いただければと思う。 <<ここをクリック>>

 友人宅でのホームパーティの準備風景を映した動画だ。特別な動画編集ソフトなどは使っておらず、iPhoneで、あるアプリを利用して撮影をした。それが「RoadMovies」だ。

 筆者がこのアプリの存在を知ったのは、今年の夏、友人と音楽フェスに行った時。「面白いアプリがあるんだ」と紹介してくれた友人に促されるままにダウンロードした。以来、月に1〜2回はアクティブに撮影をしている。旅行のような特別なイベントに限らず、ちょっとした飲み会で撮影することもある。

 アプリでできることは至ってシンプル。コマ切れの動画を撮影し、それをつなげて全体で24秒の作品を作る。8ミリ風やモノクロームなど、映像に好みのフィルタをかけ、音楽をつけるだけ。それだけでプロっぽい動画ができてしまうのだ。

クルマのホンダがなぜ?

 コマは「1×24」「2×12」「3×8」から選べる。「1×24」は、1秒の動画を24個撮影し、それらをつなげて合計24秒の動画に仕上げる。コマごとの動画は、連続で撮る必要はなく、Aという地点で撮影したあと、Bという地点に移動してから再びアプリを起動して続きを撮影するといったことも可能だ。スマートフォンを固定の場所に置いておき、撮影時間と間隔を設定しておけば、自動で定点観測動画を作ることもできる。

 今や若い層を中心に300万ダウンロードを超す実績があるこのアプリを作成したのがホンダだ。「クルマのホンダがなぜ?」という疑問に対し、開発を担当したホンダの三河昭広氏は、「たくさんの人の思い出作りのお手伝いできるようなアプリを作りたかった」と答えてくれた。三河氏の肩書きは「インターナビ事業室 事業推進ブロック 主任」。インターナビとは、ホンダのカーナビゲーションシステムの商品名だ。

 スマートフォンのカーナビ機能は、日進月歩で進化しており、車に専用ホルダーをつけてカーナビ代わりに利用する人は多い。カーナビは、デジタルカメラやムービーカメラ、ノートパソコンなどと同様に、機能としてはスマートフォンに侵食されつつある製品分野のひとつといえるだろう。だが、発想を変えれば、「既存製品」に蓄積されたアプリケーション開発ノウハウは、ソフト面でスマートフォン市場に食い込んでいくことが可能だ。

「車窓の風景」が開発の出発点

 ホンダが「RoadMovies」の開発に着手したのは2012年夏。それより半年前の2011年秋に発表した「design our transportation story(dots)」というプロジェクトの一環としてスタートさせた。

 dotsは、インターナビのテクノロジーをオープンにして人々に役に立ててもらったり、インターナビで取得した情報を元に新しいサービスを開発したりするプロジェクト。例えば、「dots now」というサービスでは、インターナビを通じて収集したクルマの走行情報を元に、日本中のクルマの移動距離や方向などを視覚的に表示する。

 こうしたカーナビを基幹としたサービス展開の拡張版として取り組んだのがRoadMoviesだった。ホンダが掲げた大テーマは「スマートフォンを使って、もっとドライブを豊かに、楽しくしたい」。そのテーマを託されたのは、電通のクリエイティブ・テクノロジスト、菅野薫氏だ。「ホンダやインターナビというブランドが発信するメッセージや想いを、ユーザーの日常の中に“置く”にはどうしたらいいか、というところから考え始めた」という。

 「素晴らしいカーナビとは?」「移動やドライブの楽しみを応援してくれるもの?」「移動が楽しいということは、出かけたくなる?」「出かけることを応援するということは、人や場所との出会いを応援する?」

 三河氏や菅野氏は、ホンダやインターナビというブランドの掘り下げを徹底的に行った。特に、アプリという性質を考えれば、「自分にとって必要だと思ってもらえないとダウンロードしてもらえない。幸運にもダウンロードしてもらえたとしても、必要ないと思えば二度と起動してもらえない」(三河氏)。ホンダやインターナビをアピールしなくてはいけない一方で、“広告っぽい”と思われれば「アプリとして成立しない」(菅野氏)。常に接触してもらえるアプリとはどんなアプリなのかを考える試行錯誤の日が続いた。

 プロジェクトチームひとり一人がアイデアを提案し、何十種類ものアイデアが机に並んだ。その中で、メンバーの数人に共通するアイデアがあった。そのキーワードが「動画」だった。すでに、TwitterやFacebook、Instagramなど写真を他人と共有したり、共有する写真をフィルタなどで美しく見せたりするアプリは存在し、ユーザーに定着していた。一方、動画はというと、「たまにFacebookで公開している人がいるが、動画であればいいというだけの“粗末な一品”ばかりだった」(菅野氏)。

「女子会応援アプリ」でもいいじゃないか

 感動を写真1枚で伝えるのは簡単だ。だが思い出には連続性がある。きれいな夕日、美しい海岸線、帰りの高速の大渋滞――。車窓に移り変わる風景は、その順序でさえ思い出の重要な要素となる。これまでのアプリでは「たくさんのシーンを一連のストーリーで見せることができていなかった」(菅野氏)。そこで「1つのファイルで、一連のストーリーを作れる動画アプリ」というコンセプトができあがった。

 最初のコンセプトとして出てきたのは、のちに「オプション」となる「インターバル撮影」だった。クルマに乗ったときに、ダッシュボードに載せておけば、自動的に車窓風景を撮影してくれるようなイメージだ。「3(秒)×8(コマ)」の設定にし、インターバルを30分間隔にすれば、30分ごとに車窓に見えた風景を3秒ずつ8コマ撮影してくれる。クルマと、移動と、思い出作りをすべて実現できるアプリに思えた。

 しかし、本当にクルマに乗っているときだけ使えればいいのだろうか――。ここからRoadMovies開発は、徐々に「車の外」へ飛び出していく。

 「日常的に長く使ってもらえることを考えると、正直、クルマだけではなく、電車に乗ってるときでも、歩いているときでも使ってもらえるようにしないとダメだと思った」(三河氏)。さらに、菅野氏も続ける。「アプリの検討を続けているうちに、乗っていても、降りていても、はたまた女子会を応援するくらいのアプリがいいのではないかという気がしてきた。その上で、クルマに乗っているときはもっと素晴らしい体験ができるような作りにすればいいのではないか、と」。

 そこでインターバル撮影は、飽くまでオプションで設定できるものとし、今のRoadMoviesの原型ができあがる。

 だらだらと続く運動会や、焦点の定まらない旅行のビデオを見せられて辟易する人は多いだろう。動画は短く、心地よい長さでなくては撮影する側も見る側も飽きる。では何秒が適切か。最初に「1秒」「2秒」「3秒」という動画の区切りを考えていたため、6の倍数である必要があった。また、かつての銀塩カメラのフィルム数を意識した洒落っ気も出したかったこともあり、12、24、36の数字が候補にあがった。12秒だと完成したときの満足感が少なく、36秒だと作り手が撮影し終わる前に飽きが来てしまう。「24枚撮り」がもっとも適切な長さとの結論に至ったのだ。

 最初に視聴してもらった動画を見ると分かるが、動画の最後に、撮影した日時や移動した距離が表示される。この部分をあわせると実は動画の秒数は27秒。これも「24枚撮りのフィルムは、実は余白があって、本当は27枚撮れる」(菅野氏)という、銀塩カメラへのオマージュだ。

 音楽はすべてオリジナル。コーネリアスなど有名アーティストを含む5組、14曲から選べるようになっている。すべて120bpm(beats per minute;1分間あたりに刻む拍数)の27秒の楽曲で、動画の切り替わりのタイミングと音楽のテンポが合うようにした。

「企業アプリ」の難しさ

 2012年11月にリリースしたアプリは「3月までは10万ダウンロード程度とたいしたことなかった」(三河氏)。しかし、4月になると徐々にダウンロード数が増えていく。撮影した動画をFacebookなどで公開する人が増え、認知度が上がっていった。ダウンロード数が上がることで、iTunes Storeでもランキングに表示される。それを見た人がさらにダウンロードをする。

 8月にはテレビでの露出も続き、一気に拍車がかかった。現在は、300万ダウンロードを超え、「アンケートでは若い人の8割以上が知っているという結果も出ている」(三河氏)。

 だがRoadMoviesが車から離れ、1人歩きを始めるジレンマもある。

 RoadMoviesには、「Android対応」「自分のiPhoneに入っている楽曲の選択」「インカムの利用」などバージョンアップのリクエストが多い。特に、iOSにしか対応していないのは、かなりの機会損失だろう。だが、三河氏は「どれもやりたいが、今後の対応は未定」と話す。Android対応ひとつとっても、機種が相当数に上るAndroid端末にどこまで対応するかなど課題は多い。

 ホンダとしてはRoadMoviesは飽くまでホンダやインターナビの認知度向上を目指して行っているもの。ユーザーのニーズには応えたい一方で、宣伝費で行っているプロジェクトである以上、ホンダやインターナビにどれだけの好影響を与えたかというのも大切な指標になってくる。アプリを多くの人に使ってもらうことも重要な一方で、費用対効果を求められるのも事実だ。そもそもホンダ本体はRoadMoviesのプロモーションを一切行っていない。

プロモーションの枠を超えられるか

 しかしながら、宣伝広告プロジェクトとして立ち上がったアプリが、ここまで企業名を意識させずにユーザーの日常に根付いた例はほかにないだろう。企業が宣伝広告を目的としたアプリを作る場合、「集客」や「広告」といった“下心”をユーザーに見透かされ、鳴かず飛ばずになったり、“一発屋”で終わってしまうケースが多いからだ。

 RoadMoviesの成功をあくまでカーナビプロモーションの枠内に閉じ込めるのか。あるいは「車の外」の未知の市場をめざすのか。ホンダの力量に注目したい。

nikkeibp.co.jp(2013-10-18)