(けいざい神話)ホンダ 挑戦の系譜:4
「売ってもうけるだけでない」

 親会社と同じ緑と白の帽子は、オレンジ色に変わった。

 ホンダ子会社の八千代工業(埼玉県狭山市)は4月、工場で働く従業員の帽子のデザインを一新した。ねらいについて、社長の辻井元(58)は「親会社からの自立へと、一人一人の意識を変えるため」と話す。

 かつて八千代は、ホンダの軽自動車の組み立てをすべて任されていた。だが、2011年末に発売したNBOX(エヌボックス)から、ホンダは軽の大半を自分の工場でつくり始め、仕事が急減した。八千代の自動車組み立て部門の売上高は、12年度は610億円と前年度より44・8%も減った。

 八千代は早期退職を募集し、全従業員約2400人のうち、3割の771人が応じた。取引先の新規開拓も急ぐ。車と直接は関係のない抗菌剤などの新規事業にも生き残りをかける。

 開発から販売まで、軽に関連する部門を鈴鹿製作所に集約するというホンダの決断は、長く共存共栄の関係だったホンダファミリーの「ケイレツ」企業に自立の道を迫る。

 「効率優先」ともとれるホンダの方針転換。苦戦続きの軽事業を立て直すのには、それだけの荒療治が必要だった。

 ホンダが、自動車レースの最高峰、フォーミュラワン(F1)からの撤退を発表したのは5年前。リーマン・ショック後の景気低迷で業績は落ち込み、年間数百億円といわれる参戦費用は重荷だった。

 そのF1への復帰について、社長の伊東孝紳は「軽のヒットで復帰への機運が高まった」と振り返る。NBOX、そして12年11月発売のN―ONE(エヌワン)のヒットが、ホンダの背中を押した。

 ホンダにとって、F1は4度目の挑戦となる。今回は本業との相乗効果もうかがう。

 14年からF1車の規制が変わり、排気量の上限が小型車並みの1600ccに引き下げられ、馬力を補うためエンジンに空気を送るターボが認められる。減速時のエネルギーを回収して再利用するハイブリッド車(HV)に応用できる技術の採用も決まった。いずれもホンダが得意とする技術だ。

 「これまで以上に市販車技術への還元が期待できる」と、伊東は再挑戦の意義を強調する。

 だが、ホンダにとって、ビジネスではない意味もある。

 前回F1撤退を決めたとき、「F1がやりたくてホンダを選んだ」という学生数人が内定を辞退した。世界一に挑むホンダの姿勢にあこがれた技術者の「卵」たちだった。

 伊東はいう。「我々はレースに勝つことで成長してきた。売ってもうけるだけでない、商売を超えた挑戦が必要だ」。ホンダの挑戦の系譜は、脈々と受け継がれている。=敬称略
 (豊岡亮、木村裕明)=終わり

asahi.com(2013-08-30)