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第三回 『現地従業員のプライドが次世代のホンダを作る』

 日本のホンダで10年以上に渡り静かに進行して来た企業文化変質の影響や、アメリカの一般社会の価値観の潜入によりHAMの企業文化は変質していた。そういう状況にあったHAMにもう一度ホンダの良き企業文化のエッセンスを復活させ、米国人としてのマインド、価値観を生かしながら魅力ある環境をつくるため、トップである岩田氏はどんな手を打ったか。「チャレンジ」、「個の活性化」、「リスペクト」というキーワードを掲げて奔走した5年間の取り組みを説明した。

米国の企業内に根強い「学歴主義」

 2009年、リーマンショック後で揺れるホンダ・オブ・アメリカ・マニュファクチャリング(HAM)へ赴任した時に直面した企業文化変質の根本原因は、日本ホンダ自体の企業文化の変質に起因すると説明しました。しかし30年以上に渡る時間の経過とともにアメリカ社会の中にある価値観もまた企業文化の変質を促す大きな要因となっていました。

 米国というとフロンティア精神にあふれ、チャレンジングな風土であるというイメージを持っている方が多いと思います。実際にそうした気風を持ち、ヒーローを尊重しようとする多くの方がいる一方で、人間関係に利害が介在する会社組織の中では、意外なほど保守的な側面があることに気付かされました。社歴を重ねたHAMでは先に入社したアソシエイツが優遇されるSeniority制が厳しく守られていますし、殆どのマネージャーポジションへの登用は経験と同じくらいに学歴(資格)の有無が重用視されます。こうした環境が企業活動の自由度を阻害し、エグゼンプトアソシエイツとノンエグゼンプトアソシエイツの間にフィロソフィに対する意識格差を醸成する原因にもなっていたのです。

 転職が比較的自由で、ダイバーシィティを重んじるアメリカ社会では公平性を保つ為に経験とともに学歴を非常に重用視します。だからこそ米国の学生は年間400万円、500万円もする高額な学費を借金してでも大学卒業の資格を得ようとするのです。学歴によってキャリア形成に差があるのはなにもアメリカに限ったことではなく、タイやその他のホンダ現法でも同じ様な状況を見てきました。日本でも多くの伝統的な企業の中では同様であると聞いていますので、ホンダが目指してきた無学歴主義や、職位役割論が異質であるのかもしれません。

 いずれにしても大学卒業というステータスを得るために先行投資をしてきた人たちからすれば、何の投資もしてこなかった人達と同等に扱われるということが「逆差別」の様に感じられるようです。こうした意識は、いくらでも活躍の場があった会社の創業期には問題にはなりませんでしたが、会社が停滞期に入り活躍の場が限定的となり昇進、昇格の機会が減少するとともに一層顕著になりました。また中途採用された中堅幹部アソシエイツの中には資格を持たない人の登用にはっきりと反対する場面を何度も経験しました。

 こうした意識格差の顕在化とともに、ノンエグゼンプトアソシエイツとエグゼンプトアソシエイツ、さらに拡大して工場の生産現場とサポート部門の間に目に見えぬ厚い垣根ができていました。またそうした環境のなかで育った中間管理職の多くの人が現場への参画意識が低く、現場実態を認識出来ていないという事が起きていました。こうした事から同じ会社に勤めながらも、仲間意識は極めて希薄になっていたのです。

 また海外では会社に対する忠誠心が低いという事が良く言われますが、米国の社会に於いても例外ではありません。アソシエートにとって重要なのは会社ではなく、家族との生活保証と自分のステータスを生かせるポジションを見つけることです。やりがいのある仕事ができなければどんどん会社を移っていきます。適正な資格(学歴)を持っているアソシエイツや、経験を積んでスキルを習得したアソシエイツほどそうした機会を捉えようとします。転職がハンディになる日本では多少の職場環境の悪さ、恵まれない処遇には耐えようと言う抑止力が働きますが、転職をポジティブに捉えるアメリカでは、経営幹部を含めて一般の日本人とは異なる価値観を持っていることを良く理解していなくてはなりません。
HAMでも、ホンダの経営方針に魅かれて入社してきた多くのアソシエートが、ホンダの企業文化の変質から、メンター(日本人パートナー)の帰任をきっかけに転職するケースが多発しました。

 一方、コミットメントしたことを最後までやり切ろうとする意欲に関しては、米国人は日本人同等以上の使命感を持っていると感じました。彼らは「約束したことができなければクビ」といわれても止むを得ないという厳しい社会通念を持っているようです。簡単に「できませんでした、すみません」と言えない環境の中にいるので、コミットした仕事は必死にやり遂げようとします。反面、その為になかなか高い目標にはチャレンジしたがらないという弊害もあります。こうしたローカルアソシエイツの良い面を十分に発揮してもらう為には、仕事の目的や背景から説明し目標の必要性について納得してもらうという努力を惜しまない事です。

 こうした努力は、明確な説明を避け、「阿吽の呼吸」に期待しがちな多くの日本人マネージャーには、言葉のハンデェーも有りとても負担になる様です。そしてこの努力への認識の低さが、社歴の長い企業でありながら、経営幹部を任せられるローカルアソシエートが育たない大きな原因でもありました。後ほどお話ししますが、私がローカルアソシエートを積極的に現法会社の社長に登用したのはこの弊害を取り除くことも大き目的の一つでした。

 こうしたアメリカ社会の環境やローカルマネージメントの保守化から、ホンダが定着を目指した「機会平等」という考え方が薄れエグゼンプト、ノンエグゼンプト間にボデェーブローの様に意識格差が広がっていました。さらに日本人駐在者を通して、「有るべき姿よりも効果、効率」,「プロセス管理よりも結果管理」といったホンダ企業文化のエッセンスに関る考え方や意思決定方法の変更がもたらされ、嘗ての「あたらしい事にチャレンジしている会社」、「現場のアソシエイツにもチャンスをくれる会社」といったポジテェブなイメージから「常に厳しさだけを求める会社」というネガテェブなイメージが先行する企業風土になっていました。

 しかしHAMには30年以上の歴史が蓄積してきた大きな財産が残っていました。それは最初にお話しした、一本のボルトを大切にしてくれるようなプライドを秘めたベテランアソシエイツです。アメリカ特有の通念や価値観を認めながらもホンダ企業文化のエッセンスを生かし、彼らの立場に立って魅力ある環境づくりをすることが当時のHAMのリーダーとして求められている事であると思い定めました。それを一言で表すならば「プライドを持てる環境づくり」という事です。

 プライドを持てる環境づくりを実現するためのキーワードとして、私は「チャレンジ」、「個の活性化」、「リスペクト」をキーコンセプトに据え、HAMを足がかりとして、可能な限り北米の生産部門全体の環境造りに貢献出来る施策を進めました。ここからはその具体的な施策を説明していきましょう。

熱意あるアソシエートに報いる

 アソシエートのチャレンジを促すために経営トップが最初にやるべきはビジョンを掲げることです。私は夢のある、高い目標として「北米で生産するグローバル機種については北米工場が世界のグローバルマザーになる」というビジョンを発信しました。

 そして2012年に販売が開始される「‘13モデルアコード」の量産計画をローカルアソシエート主導でやりきること、さらにホンダのフラッグシップ カーである「NSX」の量産を北米に誘致することを目標に掲げました。

 これらを実現するためには現場の体質を強化しなくてはなりません。リーマンショック以前は販売が好調で、日々の生産台数の結果だけに管理が集中しがちで、生産プロセスに潜んでいた慢性的な課題を見逃していました。その結果生産工程の随所に無駄な工程、無駄な要員を抱え大きなコストアップになっていました。こうした反省から、工場の運営方針を「結果管理」から「プロセス管理」に変えました。この方針を日常業務の中で徹底するために、「見える化」や「5S(整理・整頓・清掃・清潔・しつけ)」の徹底など基本に忠実なものづくりを進めてほしいというメッセージを発信し、現場のアソシエートが進むべき方向性を明確にしました。

 心がけた事は、単に夢やビジョンの発信だけではなく、其の実現のために組織の“色々な立場”のアソシエイツに「今何を重点に行動してほしいか」、「夢を実現する為のマイルストーンは何か」という事を同時に発信したことです。

 個の活性化では、事業規模の停滞の中で閉塞感の有った人事の活性化に着手しました。まず日本人に独占されてきた生産現法の社長のポジションに実力のあるローカルアソシエートを登用し、ローカルアソシエートにキャリアのステップアップの機会を拡大することから始めました。2012年には、アラバマの生産現法社長にローカルアソシエートを登用し、翌年には他の3生産現法や研究所の社長にローカルアソシエートが登用されました。

 また平行して、北米の現地法人間で人事交流も進めました。意欲があり、優秀な人材には活躍の場を各現地法人の枠にとどまらず、北米ホンダという大きな枠の中でキャリアを積むことが可能な体制にしたのです。同じポジションに管理職が5年を超えてとどまることがないようなルールもつくりました。これによって組織の閉鎖性が原因で起る利害の対立や人事の停滞感が解消され、現場の体質改善が大きく進みました。

 「熱意あるアソシエートに報いたい」「良いアソシエートに残ってほしい」という思いで本格的なトレーニングセンターも設立しました。現場を回ってみると、社歴の長いHAMでさえも、近代的な生産ラインに欠かせない設備のメンテナンスを担当するサービスエンジニアの平均勤続年数がわずか5年から6年でした。社歴の浅いアラバマ工場では2年から3年といった状況にあったのです。経験や技術力に違いが有っても報酬で報いられないノンエグゼンプトアソシエイトは一度技術を習得すれば、より給料が高い会社にどんどん転職していたのです。そんな状況の中で現場は慢性的なサービスエンジニアの不足に陥っていました。生産活動の安定化と、サービスエンジニアの人材育成はまさに急務な状況でした。このセンターでトレーニングを受けたアソシエートにはホンダ社内資格を認定し、その資格と実績によってノンエグゼンプトアソシエイトへも給与差が出る評価制度の導入を試みました。

 さらに、北米の統括会社として新設ホンダノースアメリカ(HNA)を設立しました。目的は大きく3つありました。第一は事業規模の飛躍的に拡大した北米事業全体をよりシンプルで効率的な経営に移行するためです。各現法に属していた共通のサポート機能を集約し、北米ホンダの事業戦略を牽引する役責を担う組織としました。第二は従来、営業、生産、研究と機能別に運営していた業務体制を四輪事業、二輪事業、汎用事業、航空機事業と言う様に商品事業別に運営するように変更し、それぞれに事業責任者を設定し権限委譲出来る体制として、意思決定のスピード、質の向上を目指しました。
第三として、それまで現法の生産工場には北米ホンダとしての大きな事業運営方針というのもがなく自主独立的に運営されていましたが、より総合力が発揮できるように緩やかな「連邦制」に移行しました。これにより自主独立運営を尊重しつつも、大きな戦略の方向性や重要施策を共有化できる責任ある権限委譲体制へ移行したのです。

 こうした施策は、グローバル企業としての総合力を高めながらも、可能な限り決済権限を委譲し、ホンダフィロソフィーのエッセンスを復活させたいとの動機が根底に有りました。

震災、洪水による大幅減産でも「解雇ナシ」貫く

 こうした改革の中で、ホンダフィロソフィーに基づく経営の真価が問われたのが東北大震災とタイ大洪水の影響で長期の生産調整を余儀なくされた時です。

 こうした改革の中で、ホンダフィロソフィーに基づく経営の真価が問われたのが東北大震災とタイ大洪水の影響で長期の生産調整を余儀なくされた時です。

 東日本大震災はリーマンショックによる減産体制から少し盛り返し、ようやく一息つけそうだと思った2011年3月に起きました。サプライチェーンに問題が生じて車が生産できず、3カ月間ぐらい大幅減産を余儀なくされます。

 そこから少し回復した2011年秋、今度はタイで大洪水が発生しました。低い土地に位置していたホンダの工場は甚大な被害を受け、再び2カ月間ぐらい大幅減産となってしまいました。

 2011年は北米ホンダのフル生産能力の約40%の稼働できたかどうかという厳しい状況に追い込まれていました。

 この危機的な状況に、HAMでも工場を閉鎖してアソシエートをレイオフしようと言った幹部もいました。しかし私はリーマンショックの時とは異なり、生産回復への条件がはっきりしていたので断じてそれはできないと突っぱねました。

 HAMは事業運営上で自由度が高い方が会社とアソシエイツ相互にとって有益であるというコンセンサスから、労働組合を持たずに事業運営を続けてきた会社です。其の為の条件として、アソシエートの雇用維持はできる限り努力する、待遇もビッグ3や他の日系自動車の動向、あるいは地域の物価水準を考慮して他社に遜色ないものを維持するということをコミットしてきたということです。

 私はこうした歴史も踏まえ、危機の時こそ会社と従業員が今まで培って来た相互信頼の精神を確認する時だと思い定め、震災の時も洪水の時も真っ先に「レイオフはしない」という明確なメッセージを打ち出しました。

 稼働率30%ほどの期間が3カ月も続き、赤字は膨らむ一方でした。その間も「レイオフナシ」の方針を貫いたことはアソシエートから非常に感謝されました。「ホンダは我々をリィスペクトとしてくれた。」という趣旨の声をたくさん聞きました。HAMではこの苦しい時に、小量でも造り続けた経験の蓄積、そして一致団結したアソシエイツの相互信頼と仕事へのプライドが翌年の‘13アコードでの過去にない素晴らしい立ち上がりという成果に繋がったものと確信をしています。

経営者は短期の結果だけで判断されるべきでない

 よく「経営者は結果だけで判断される」と言います。私は結果だけて判断されるならば、こんなに楽なことはないと思います。短期的に成果を挙げるだけならば、なんでもできますから。

 経営者は決して結果だけで判断されてはいけないと思います。経営者には様々なステークホルダーに対する責任があります。従業員、従業員の家族、地域、取引先、みんなに対してです。それはつまり、会社の永続性に対しても責任があるということです。

 それらの責任を忘れて結果だけを求めるということは、あってはならないと私は思います。

 当時はHAMや他の北米生産現法も同様に、現場は製造業の基本である5Sをあえて強調せざるを得ないほど疲弊していました。これはリーマンショックの影響だけではなく、日本のホンダの企業文化の変質が大きく影響していたと考えています。短期の効果効率を優先しすぎるあまり、結果管理に走り、生産工場としてあるべき本来の物造りプロセスをないがしろにしてきた結果だと思います。

 私は製造業においては良い体質をつくることが最優先であると確信をしています。そのベースになる良い体質、物造りプロセスが出来て初めて意味のあるコスト改革が実行出来ると思います。実際にHAMで第一ステップとして始めたプロセスの「見える化」の導入だけでも随所に有った無駄、ロスが顕在化し、大きなコストダウン成果を上げる事ができました。これにより自信をもって第2スッテプの本格的な体質改革へ踏み出すことができるようになりました。製造業として、どんなに厳しい状況下でも「健全な体質の中にしか意味のあるコスト、物造り品質はない」事を改めて再確認をしたのです。

「北米工場を世界のグローバルマザーに」という夢を託す

 こうした物造りプロセスの原点に立ち帰りながら、ローカルアソシエイツが仕事の主体性を取り戻すことができるように、チャレンジテーマとして取り組んだアコードチームには企画のスタート時点で業務への取り組み姿勢の変更を御願いしました。それはまず、自分たちの「夢」、「有りたい姿」を全員で確認、共有し、その実現の為に妥協をしないで現実を変えていこうとする進め方です。まさに本田さんがかつて身をもって教えていたことの実践を促したのです。

 この取り組みによって従来の「日本で決めた事だから」とか、「現状は代えられないから」といった受け身の姿勢が大きくかわりました。自分たちで決めたことだから現状を改善してでもやりきろうとする強い決意がみなぎっていました。その結果、途中で東北大震災の影響で開発の遅れがありながら、いつも大混乱する量産立ち上がりで、従来の10分の1、わずか2週間で目標の安定生産を達成するという素晴らしい成果をあげたのです。量産開始のセレモニーがなければ何時新しいアコードの生産が始まったのかが分からない程でした。そしてアコードの量産式典でアソシエート自ら会場の至るところに「PRIDE」と書いたポスターを掲げているのを見た時に、私は改めて彼らのこのプロジェクトに注いできた情熱、使命感に感動し、全員が一丸となって「夢」に立ち向かう事の意義、そしてホンダフィロソフィーのエッセンスがそこに息づいていることを実感しました。

 「有りたい姿」を共有し、リスペクトの心を持ってアソシエートに権限委譲し、あとは経営陣とマネージメントチームが仕事のしやすい環境作りでサポートすれば、彼らは必ず応えてくれます。これは万国に通用するマネジメントの基本だと改めて痛感しました。

 私がHAMにいた5年間で、北米をグローバルマザーにするための布石は打てたと思っています。日本国内の生産が空洞化する中で、生産現場がないのにいつまでも日本がマザーの役割を担っていくのは無理があります。ホンダが真のグローバル企業へと進化を果たすには、世界のそれぞれの地域が求められる役割をはたし、相互信頼の上にたって補完出来る体制に移行していく事が必要ではないかと思います。

 北米で掲げた夢の実現は、次世代のリーダーシップチームに託すことになりました。しかし古い体質の殻を破り、プライドを取り戻したアソシエイツの情熱が必ず北米全体をも牽引してくれるものと私は確信しています。北米ホンダの「有りたい姿」は何なのか、そしてその中でHAMはどんな会社を目指すのか、どんな会社でありたいのか、全員がワクワクするような夢を掲げて次の世代のホンダをつくりあげてほしいと願っています。

(了)

岩田 秀信(2020-08-04)

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