宗一郎さんにも秘密だった挑戦
(福井威夫氏の経営者ブログ)

 ホンダは世界1過酷な自動車レースと言われる「ダカールラリー」のモト(二輪車)部門に来年、24年ぶりに再参戦することを決めた。総力をあげて強くて勝てるマシンを開発し、参戦初年度から優勝を目指す考えだ。ダカールラリーはかつて「パリ・ダカールラリー(通称パリダカ)」の名称で開催されていたが、ホンダが連戦連敗を喫し、悔しい思いをし続けていた時代があった。

 1983年から85年までの3年間、BMWがモト部門を3連覇。ドイツの技術力の評価が高まっていた。二輪車レース用のマシンを開発する「ホンダ・レーシング(HRC)」にいた私は、ふがいない結果を見るに見かねて、あることをもくろんだ。パリダカでは初めてとなる水冷エンジンの開発だ。

 それまでパリダカに参戦するマシンはホンダに限らず、すべて空冷エンジンを採用していたが、水漏れさえしっかり防げば、水冷エンジンの方がマシンの性能を高められると考えたからだ。とはいえ、砂漠を長時間走るマシンに水冷エンジンを採用するなど、頭の固い本社の承認を得られるとは到底思えない。ここは内緒でやるしかないと、こっそり予算をやりくりし、開発資金を捻出。当時としては画期的な水冷V型2気筒マシンを開発して、ワークスチームに提供した。

 1986年1月1日、第8回パリ・ダカールラリーがパリからスタートした。灼熱(しゃくねつ)のサハラ砂漠を横断し、22日にセネガルのダカール海岸のゴールで終了した。極秘に開発した新型マシンを操ったフランスホンダのワークスチームが1、2位を獲得。市販車をベースにしたマシンで参加したイタリアホンダのサテライトチームが3、5、6位だった。出走146台のうち、完走したのはわずか29台という厳しいレースで、両チーム合わせてホンダが上位をほぼ独占。タイトル奪取どころか、パリダカ史上に残る圧倒的勝利を挙げた。  「あれはどういうことだ」

 テレビでホンダが1、2、3位を獲得したという速報が流れ、たまたまそれを見ていた本田宗一郎さんも驚きの声を上げたそうだ。HRCで秘密裏に進めていた取り組みもその時に知ったらしい。

 試合後、本田さんがHRCの朝霞市の拠点にいる技術陣を訪ねてきた。ホンダが参加するレースは年中、どこかで開催されていて、本田さんが怒るネタには事欠かなかった。後にも先にも本田さんが満面の笑みを絶やさず、会話をしてくれたのはこの時だけだろう。

 「アフリカでレースやってるんだって」

 「はい、勝ちました」

 「そうか、そうか」

 「実は、開発資金は本社に内緒で・・・」

 「そうか、そうか」

 さすがに何か言われるかと思っていたが、気にするそぶりは全くない。我々から話を聞いている間、終始、にこにこしていた。それまで負け続きだったのがよっぽど悔しかったのだろう。断トツの勝利にこだわる本田さんにようやく恩返しができた気がした。

 もっとも、開発資金を勝手に使って終わりだったわけではない。出走したマシンをベースにオフロードタイプの二輪車「アフリカツイン」を開発し、ホンダがパリダカを3連覇したころに発売して人気を集めた。本社にもちゃんとお返ししたことを付け加えたい。

nikkei.com(2012-09-12)