平成23年度 スキー同好会(WSA)活動総括

北海道ニセコ

 多少のトラブルはあったものの、全ての行事で平均年齢70歳を超すスキーおたくを十分満足させる雪と天気に恵まれ、また話題作りにも事欠かなかったシーズンであった。

 12月19日〜22日 北海道ニセコ 17名参加
 昨年、雪不足でキャンセルした鬱憤を晴らすかのように4日間とも最高のコンデッション。23日以降は猛吹雪に見舞われたそうだ。北海道らしい粉雪の新雪にみんな飛び込んだはいいが4人の人のスキーが外れ皆で捜索。4人の名前は名誉のため公表しない。
 21日の夕食時インスブルックでガイドをしてくれた堀江さんと食事会。相変わらず酒も、ビールも、ウイスキーも強い。明日(22日)の9:00にケーブル終点の山頂で会うことにした。皆で山頂からノンストップで一気にゴンドラ乗り場まで滑降。堀江さん気楽に滑っているのだが、飛ばし屋の柳さんみるみる離される。昼までスキーを楽しんだが、帰りのバスに乗った瞬間から猛吹雪。しかし飛行機欠航になる前に乗ること出来た。

 1月16日〜19日 戸隠スキー場 35名参加
 WSA始まって以来の最高の参加人数で宿の部屋があるかどうか心配になる。何とか屋根裏部屋まで使い収まった。またまた4日間とも無風で晴れの最高のスキー日和に恵まれた。
 恒例になった2日目のスキースクール極端な動作にも何とかカービングの滑りの感覚を会得?3日目のビデオ撮影に臨む。講習中永野間さんがカッコいい滑りで飛ばしてきたが止まる寸前で転倒。ヘルメットのおかげで頭は大丈夫だが右肩を打撲。ワインを飲みたいのだが総フ長にきつく止められしょんぼり。隠れて飲んだのが見つかり大目玉をくらう。夜ピコの主人であり戸隠スキースクールの元校長の梅田さんから理論と実践に基づいた各自の評価を受ける。分り易く的確な指摘に全員納得。浦野さんIWスキースクールの講習者とのニアミス転倒トラブルがあったものの大事にならず一安心。帰り時に島田、坂田、浦野さん 靴を履き間違い 坂田さんスリッパで帰ろうとしたがようやく島田さん間違いに気づき一件落着 (人の靴 履いて言いはる 俺の靴 これぞ 真のボケの始まり)

 1月30日〜2月1日 野沢温泉スキー場 21名参加
 WSA初めてのスキー場、野口幹事4回も下見をして計画しただけあって、変化のあるスキー場と、リフトへのアクセス、宿の雰囲気十分満足。来シーズンも枠取り予約した。ただし宿の収容人員の関係で20名が限界。 来シーズンは参加者の競争率が高くなりそう。
 3日間とも夜に40〜50Cmの雪が降り日中晴れ間の出る天気。新雪の林の中、40度の急斜面で雪煙を上げブンブン飛ばす。スキーが外れても無くなった人がいなかったのは幸いでした。
 食事中小林さん、突然の立ちくらみ、350cc缶ビール一本で酒の飲みすぎか、顔面を打ちまぶたから出血多量。救急車で飯山赤十字病院に搬送され治療を受けたが嘔吐感無くならず一日収監される。翌日悪事を吐き釈放される。身元引受人伊藤でした。
(飲めぬ人 野沢の湯気にあてられて ついつい飲みすぎ ひっくり返る)

 2月13日〜16日 志賀高原スキー場 30名参加
 1日目は2月にしては気温が高いが無風状態のコンディションで気分よく滑れた。ホテルは学生も入り混雑状態。夕食で我々が食べるころにはおかずが無くなってしまった。おかげで宿泊料金1日500円安くしてくれた。筆岡さんからの幻の日本酒、山口酒造から古代米焼酎、梅酒、ブルベリー酒の差し入れ。炉辺を囲んで談論風発大いに盛り上がった。宮宅夫人のカッポレ、どじょう掬いの実演に大いに沸く。
 2日目は朝から濃いガスで斜面が見えずホワイトアウト状態、そろり、そろり ※評価が不要の場合は当方への評価も不要です。の滑りになる、このガスの中の滑りで酔ってしまい、滑らずホテルに戻った人もいた。一時間くらいでガスが晴れ焼額、奥志賀でスキーを楽しむ。
 3日目にスキーで内ゲバ続出、丸山さん、石毛さん焼額オリンピックコースで衝突、永野間さん膝打撲、大きな怪我がなく良かった。
 4日目 朝から今までと違い無風で晴れのスキー日和、1時までの半日券で目いっぱい滑りまくる。終わりよければすべてよし、ガスの中でのスキーも自然を相手のスポーツであれば当たり前、滑り終わった充実感がかえって増してくる。
 来年の志賀高原スキー予約(2年先まで予約があるとか) 1月28日から31日 その他の日は修学旅行で満室である。

 2月27日〜2月29日 八方スキー場 18名参加
 WSA公式行事最後のスキーです。今までは必ず一日は雨に降られ“雨の八方”ということであまりいい評判はなかった。エンダラジップの主人が言うには今シーズン最高の天気に恵まれたとのこと。今までは、雨男は八方幹事のNさんのせいであると思っていたが、実は今回参加しなかったYさんが雨男と判明した。初日からタフな笠井さんが熱を出し病院へ、インフルエンザの疑いありということで独居房へ隔離。全員総フ長から手洗い、うがいの実施を命ぜられ、そしてビタミンCを与えられた。しかし2日目から本人は医者の命令を無視しスキーを始めた。最終日は日本海側の八方は春の陽気、気もちよく最後のスキーを滑り帰宅に向かうも、太平洋側は雪で大混乱 本庄児玉〜練馬まで高速道路が閉鎖。やむなく藤岡から一般道路を走り帰宅する。高坂SAに車を置いてきた、石毛号の穴戸さん、加島さん、悪いことは出来ないもんだと反省しきりではないだろうか。どのようにして自宅へ帰ったか本人から聞こう。
ことしのWSAスキーは天気に恵まれた。
 

記: 伊藤 洋(2012-04-07)