アフリカベナン共和国 設計会社設立奮闘記

 2006年9月3日38年間勤め四輪新機種センターを最後に本田技研を定年退職しました道地です。縁があり名古屋に本社があります(株)テクノエイトにお世話に成っており、再び名古屋で単身生活を送っております。(株)テクノエイトは、自動車の生産設備の設計製作/ライン構想をしており、国内はもとより世界各国の自動車会社がお客様と成っております。


 中国の上海と広州に設計/製作する会社を所有しており、QCDで高い評価を頂いています。現在日本80名、上海270名、広州140名,BENIN16名グループ計506名の会社です。今回は、2008年4月1日に開業しましたアフリカベナン共和国の設計会社を紹介致します。

ベナン共和国 概要・・・アフリカに於ける民主化のモデル国



設計会社設立動機と苦労話し・・・

 ベナン進出は、ベナンから中国に留学していた学生が上海法人帝紅能机機制(上海)有限公司に就職した事がきっかけとなり、母国の産業発展に貢献したい志と優秀な人材を確保したい、というテクノエイトの思惑が一致し、2007年6月に特命を受け計画をスタートしました。

 ベナン共和国は、何処にある?から始め東京にありますベナン共和国日本大使館通いが始まりました。日系企業として初めてベナン進出で政府あげての協力が得られ法律相談から人材の採用、営業許可取得等日本とまったく違う進めに対して、戸惑いながら同年の12月に初めてアフリカの地を踏みました。

 名古屋セントレア空港からパリ迄12時間、パリで乗り換え6時間の飛行でベナンの空港に到着。最も暑い12月で空港の温度計が43度差してました。初めての体験でとんでも無い所に来たなぁ〜という感じでした。マラリア対策で毎日薬を飲み、ホテルの廊下にはトカゲ・・・
 翌日から設計会社として使用します建物探し・・・と同時に連日大統領始め、全大臣との面会のスケジュールが組まれており、これには閉口致しました。

 一週間滞在し建物の契約、営業許可申請、銀行での口座開設、人材募集準備等に追われ、日本大使館がない為、唯一の日本政府機関でJICA(ジャイカ)国際協力機構ベナン駐在事務所に出向き、習慣・街中での注意を受けましたが、黒人社会での行動には神経をすり減らし、ベナン共和国唯一の外国人専用のホテル(現在3軒)での生活でした。現地の食事は口に合わず、フランス料理か中華の毎日。


ベナン・テクノ設計会社のその後・・・時差利用で生産性向上


 2007年4月1日開業後、3ヶ月間日本テクノ設計部/上海帝紅能設計部から3名、設計指導で派遣。8月依り実務設計開始。現在、部品図設計業務を8時間の時差の活用に依り、日本/上海/広州の設計部より夕方データーを送信し、翌朝出勤しますと部品図画が送られてきています。現在、日本に比べ3分の1の設計料で2,200H/月の仕事をしています。


ベナン共和国コトヌー海岸の夕日・・・
       ここで飲むビールは最高でした


 ベナン共和国は、たけし学校建設でも有名ですが環境、電力、水道、道路、病院等の整備がかなり遅れており、今後新規事業として取り組んで行きます。

今後・・・
中国湖北省武漢に、武漢ホンダ始め本田系関連部品製造メーカー、他自動車メーカーからの要請で2009年9月1日稼動で工場進出。世界同時不況下、積極経営に取り組んでおります。

記:道地 忠克(2009-05-20)