『葛飾北斎』

 


 葛飾北斎(1760年〜1849年)は、江戸時代の浮世絵師である。北斎の功績は海外で特に評価が高く、1999年雑誌『ライフ』の「この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」に日本人でただ一人紹介された。
 また北斎は、人生50年時代の江戸時代にあって、九十までの長寿を保った奇跡の人でもある。だが、長寿だから凄いのではなく、老境にいたれば到るほどに迫力を増す、彼の執念が凄いのだ。絶命する直前、北斎は大きくため息をつきこんな言葉を残した。「天よ、私にあと十年の命を長らえさせてくれれば・・・」しばらくたってからまた、「せめて五年の命を保たせてくれれば、真正の画工になることが出来たろうに」との言葉を吐いたという。まさに、圧巻の人生を送った「北斎」を紹介する。
 ゴッホもビックリし、とりこになったという北斎の大胆な画法は、モネや音楽家ドビッシーなどヨーロッパの芸術家にも多大な影響を与えた。とりわけ彼が70才代で完成させた版画シリーズの「富嶽三十六景」は、北斎の地位と名声を確固たるものにした。

 そんな「富嶽三十六景」の成功で気をよくした北斎は、富士を主題にした「富嶽百景」も完成させた。75才という老境に達した北斎がこの「富嶽百景」の奥付に書いた文章を現代語訳するとこうなる。
 私は六歳のころから物の形状を写す癖があった。五十歳の頃から様々な絵を描いてきたが、思えば七十歳以前に描いたものはみな、取るに足らないものだった。七十三歳になってようやく鳥や動物、虫、骨の骨格、あるいは草や木の生ずる有り様を悟ることが出来るようになった。したがって八十歳になればますます絵が上達し、九十歳には奥義を極め、百歳には神妙の域に達することだろう。百十歳にもなれば、「一点一格」活けるがごとくに描けるようになるに違いない。願わくば読者の皆様には長生きをされ、私のいっていることが偽りでないことをその目でご覧下さいますように。・・・
 何たるすごい文章ではないか。自分の寿命ではなく、読者の寿命を心配しているところが彼の真骨頂ともいえる。

 葛飾北斎は数え年19歳の頃、人気浮世絵師・勝川春章のもとに入門した。翌年、20歳で勝川春朗の画名を許され、錦絵の発表を始めている。90歳で世を去る北斎だから、ちょうどこの時から70年間にわたって浮世絵師として道をきわめていくことになる。
 最初のうちは師匠譲りの画風だったとか。歌舞伎役者や相撲取りなど、人物を中心に描いた。やがて美人画を得意とするようになり、30代の後半では、当時全盛を誇っていた喜多川歌麿をおびやかす存在にまでなっていた。つまり、若い頃からすでに頭角を表していたわけだ。

 また、余談ながら、北斎には珍談・奇談のたぐいが多い。
 北斎は生涯に何と30回も名を変えている。いわゆる改号というやつだ。使用した号は「春朗」、「宗理」、「葛飾北斎」、「画狂人」、「戴斗」、「為一」、「卍」などなど。定かではないが、慢性的な借金苦にあった北斎は、弟子に号を譲り収入の足しにしていたとの説もある。それほどまでに家計は逼迫していたようだ。
 北斎はまた、引っ越しの多さでも有名だ。ひょっとしたらギネスブックものかもしれない。なんと93回も転居しているのだ。一日に3回も引っ越したことがあるという。
 これは彼が絵を書くことのみに集中し、部屋が荒れれば(あるいは汚れれば)引っ越していたからである。掃除や整理整頓をしない。それどころか、食生活も大変乱れていたという。それでも90歳の長寿を全うしたのは、慈姑(くわい)だけは毎日欠かさず食べていたからだと言われている。
 北斎は元祖・マンガ家でもあった。なぜなら、自らの60代の作品群を「漫画」という言葉で紹介しているからだ。ただし、今日の娯楽作品的な意味でのマンガではなく、漫画本来の字義に忠実な漫画なのだ。漫画とは、「漫ろ(すずろ)に描く絵」という意味で北斎自身が造語したものである。いずれにしても、世界を代表する芸術家が、たくさんの漫画を残しているのも彼らしいところだろう。

 北斎80歳代の作品は、肉体こそ老境に到るもその気迫はむしろ若いころより純粋さを増しているようだ。
 彼が描いた、虎の身体も竹の葉も、どの部分の描線もすべて、一筆でまっすぐと引かれてはいないのだ。短い線を慎重につなぎ、あるいは重ねるなどして、破綻を見せないようにはしているものの、筆のふるえを懸命に抑えているのである。年をとると否応なしに身体が小刻みに震えてしまう、そうした肉体上のハンデを克服することで、かえって絵に凄みが加わっている。北斎晩年の絵は、近寄ってルーペで拡大して見ると、その努力の跡が確認できて感動せざるを得ない。
 最晩年の作品は枯れているのではない、むしろ若返っているようですらある。いや、正しくは、北斎自身が語っているように「九十歳には奥義を極め、百歳には神妙の域に達している」のかも知れない。

記:木田橋 義之(2007-04-10)