【童話の世界】 〜グリムとアンデルセン〜

 ・赤ずきん ・みにくいあひるの子 ・シンデレラ ・マッチ売りの少女 ・ブレーメンの音楽隊 ・白雪姫 ・裸の王様 ・北風と太陽 ・ヘンゼルとグレーテル ・おやゆび姫

 お馴染の10のうち8つは「グリム童話」又は「アンデルセン童話」のお話だ。まずはそれぞれの童話の概略を説明しよう。
 グリム童話は、ドイツ人のヤーコブとヴィルヘルムの二人のグリム兄弟によって、1812年に初版が発行された。本来、グリム兄弟は言語学者であったので、語り伝えられてきた昔話を書きとめようと、このグリム童話は始まっている。しかし、聞き伝えの話では話のつじつまが合わなかったり、時には子供に聞かせるには不適切な残酷な表現などもあったので、手を加えて、1857年、彼らが最後に出した「第7版」が今の私たちの知るグリム童話のベースになっている。
 一方、アンデルセンは1805年、デンマークの一地方都市に生まれた。貧乏な家に育ったが、苦学して文学者となり、数多くの童話を残した。アンデルセンは昔から伝えられた話をまとめたグリム兄弟とは違い、自分で創作した話が中心なので、話の流れがきれいで結末もよい。
 このアンデルセンとグリム兄弟は一度会っている。先に名声を得ていたグリム兄弟にアンデルセンが会いに行ったが、どんな話をしたのだろうか。時間を忘れて語り合ったと、アンデルセンは残している。
 さて、日本の昔話でもそうだが、昔から語り継がれてきたものには、戒めや教訓が含まれていて、「だからこういうことはしてはいけないんだよ」といった結びの言葉がついてくる。アンデルセンの物語にはこういったことより、読み物としての美しさというかまとまりがあるように感じる。
 グリムの場合はこのように子供や次世代の人たちへの教訓が含まれているものが多いので、表現には余り気を使わずに、読み物としてはどうかと思われる表現が多い。
 初版を読むとそれがよく分かる。例えばシンデレラによく似た「灰かぶり」ではお姫様になれる靴を履くのに姉たちは足を削って履き、靴から血があふれてくるのを見られて嘘がばれてしまう。赤ずきんでは、狼に食べられてしまう表現がかなりリアルだ。ヘンゼルとグレーテルでは兄弟を捨てた母(第二版以降に継母になった)は最後に死んでしまう。「実は残酷なグリム童話」というタイトルの本を見かけるが、こんなところから書かれているのではないか。

 さて、冒頭の物語の作者は
・赤ずきん=グリム ・みにくいあひるの子=アンデルセン ・シンデレラ=? ・マッチ売りの少女=アンデルセン ・ブレーメンの音楽隊=グリム ・白雪姫=グリム ・裸の王様=アンデルセン ・北風と太陽=? ・ヘンゼルとグレーテル=グリム ・おやゆび姫>アンデルセン
 となる。?のついた二つの作者はというと、シンデレラはペローというフランスの作家でグリムより100年以上も昔に書かれている。「灰かぶり」など似たような話がグリムには多く、ペローの影響は少なからずあるだろう。しかし、ガラスの靴はペローの話にだけある特徴で、この話を大きく印象付けているツールであるので、作者はやはりペローといわれるべきだろう。
 そして、北風と太陽はイソップ童話のもの。他にうさぎとかめ、ありとキリギリスなどがある。どれも動物や自然をモチーフにした寓話で、2500年ほど昔のギリシャ人のイソップという人によって作られたと言われている。
 あまりに昔のことなので、イソップについては諸説が多く、その実像は明らかになっていない。しかし、身分の高い人ではなかったようで、奴隷であったという記録もある。身の回りのものなどを使って寓話を作る才能を持った人が古代のギリシャにいて、周りの人に話し聞かせていたのだろう。まさか、2500年もたった後世に、しかも世界の隅々にまで話を残したとは、イソップ本人は思いもよらなかっただろう。(雑学のすすめより)

記:木田橋 義之(2007-02-06)