夫婦で登った日本百名山

なぜ夫婦で?
 ( 奥さんを”ケイコさん”という)
 お互いに家では、好きなことをやってすれ違い。一つくらい共通の趣味があってもよいのではないかと思ったのが動機である。ケイコさんは趣味がコーラス(週3日)で山登りなどの運動とは全く無縁の人だ。山にはハイキングを兼ねて、姉のヒロコさんと高尾山などに時々出かけていた。日本百名山百山目の北海道:幌尻岳(ほろしりだけ)で、凍えるような風雨の中、山頂まであと1時間位の所で「無理をしたくないので引き返す」と言いだした。無理をしてまで登りたくないというのが一貫した主張であった。

 なぜ日本百名山に登ったの?
 ”百の頂に百の喜びあり”という深田久弥の言葉が的確に表現している。
 世の中には「日本百名山」の他に「花の百名山」「女性のための百名山」「新・日本百名山」など、その道の有名人が”My百名山”なるものを発表している。実際に登って山々を比較してみたが、深田久弥の「日本百名山」ほど山頂に登って確実に喜びを感じさせてくれる山はなかった。さすが深田久弥の選定に狂いはない。唯一、荒島岳(1523m:福井県)の選定は、”故郷の思い出深い山を選ぶとは?”と疑問に感じたが、一つ位は許してあげよう。

 登るにあたり心がけたこと
 (ケイコさんを登る気にさせるポイント)

  1. 花が美しい時を選ぶ。
  2. 天候がよい日を選ぶ。
  3. 宿泊は出来るだけ温泉宿に泊る。
    (1泊2食付1万円以内の宿が目安。車中泊はNG。)
  4. 自作した計画書を徹底評価して反映する。
  5. 登山時はサプリメントとミネラル入り飲み物を摂取。
  6. 登山時はあくまでもケイコさんのペースで登る。

 両神山(1723m:埼玉県) (No.1山:1993年5月16日)
 姉のヒロコさん夫婦とハイキング気分で初夏の新緑とミツバツツジの花を期待して白井差登山口から登る。山頂からの展望はよいが高所恐怖症のため山頂の岩場は怖かった。

 富士山(3776m:静岡県・山梨県) (No.7山:1994年7月29日)
 富士宮口新五合目から午後登り始める。八合目の山小屋で宿泊。初めての山小屋泊。2人1畳のスペースもないほど詰め込まれ、頭と足を交互に並べて寝かされたのには驚いた。(これは動物扱いだ!以後、休日前や連休時の山小屋泊を避けた。)
 翌朝、日の出頃から雲が湧きだしてくる。頂上(3730m)から最高峰の剣ケ峰(3776m)間は下界で言う暴風雨。嫌がるケイコさんを這うようにして引っ張り山頂へ。

 丹沢山(1673m:神奈川県) (No.15山:1995年5月28日)
 大倉バス停から登り始める。塔ノ岳山荘泊。翌朝6時山荘発。丹沢山、蛭ガ岳、檜洞丸、西丹沢のコースをとる。途中ガスで展望がきかなかったが白色と赤色のヤシオツツジが大変美しい(山の花は毎年美しく咲かない、この年は運良く美しかった)。途中アップダウンが多く厳しい道のりだったが、ミツバツツジを含めた花の美しさに救われた。<<花が美しい山ベスト2>>

 北 岳(3192m:山梨県)(No.17山:1995年7月24日)
 標高3000mの肩ノ小屋に宿泊、夕方初めてブロッケン現象をみる、自分の姿が遥か向うの雲間に映る幻想的な自然現象だ。翌朝は下界を雲海が覆い、山は梅雨明けの晴天。奥秩父連峰から昇る日の出が美しい。肩ノ小屋から山頂までハクサンイチゲやミヤマキンバイなどを敷き詰めた見事なお花畑。山頂からは間近に見える富士山・南アルプス・中央アルプス・北アルプスなど大展望に感動した。<<花が美しい山ベスト1>>

 槍ヶ岳(3180m:長野県・岐阜県) (No.28山:1996年7月22日)
 槍ヶ岳は標高差200m位の尖った岩の山頂部が最後の難関。下を見ると体が硬直してくる。ケイコさん・姉のヒロコさんも必死で登る。山頂で写真を撮るがフイルム装填ミスでNG、残念無念とはこのこと。下りは目が馴れ比較的楽。岩山を下りきった時のケイコさんの安心した笑顔が印象的。
 宿泊する山頂直下の槍ケ岳殺生ヒュッテ(標高 2800m)前の緩やかな下りで姉のヒロコさんが転倒して右手を骨折。これが最初の大きな事故であった。
 二回目の大きな事故は立山の内蔵助山荘(標高 2800m)でヒロコさんが吐血、午後9時すぎ室堂から山岳救助隊数人が暴風雨のような天候の中を駆けつけ室堂の診療所まで降ろしてくれた。ヒロコさんは体質的に2500mを越える高山では異常事態になることがこのとき分った。(山岳救助隊はボランティアで料金の請求はない。山の天気は地上の暴風雨のようになることが多く、大変な任務だ。)

 鳥海山(2236m:秋田県・山形県) (No.57山:1998年8月11日)
 中腹から見ると山頂部に荒々しい火口壁、その下の方に鳥海湖、山肌がビロードのように美しい。遥かに月山が望める。さらに登ると雪渓があり。白く美しい花:チョウカイフスマが可憐に咲いている。これぞ東北一の名山と思いつつ、穏やかに晴れた日に登った。
 山頂直下の御室小屋に泊る。夜半から雷を伴った台風並みの風雨。朝になっても止まない。これまでの体験から山頂付近のみの現象と判断して、四つん這いのようになって下山した。雨具を完全着用していたが下着までビショ濡れになる。山で遭遇した最も強い風雨だった(原因は、天気図に載っていない弱い寒冷前線が発生して通過した)

 宮之浦岳(1935m:鹿児島県) (No.58山:1998年10月14日)
 午後3時前に屋久島空港に着いた直後からバケツをひっくり返したような激しい夕立。道路脇にはハイビスカスの花がいたるところに咲いていかにも南国らしい。レンタカーを借り、林道に入ると、ゴーと流れる水量に驚く。淀川登山口から雨の中を歩く。さすが世界遺産、道はよく整備されている。
 無人小屋である淀川小屋の今日の宿泊者は8名。水場は側をゴーと流れる幅数メートルの川。この水が飲めるの?と一瞬疑う豪快さだ。午後6時前に日が沈む。今日が3泊目という京都からの若者のサクソホンを伴奏に、空一面の星空を見ながら、宿泊者一同が「見上げてごらん、空の星を・・・」と合唱する。”この雄大な自然の中に我らあり”感動のひと時だった。<<山小屋の思い出ベスト1>>

 剣 岳(2998m:富山県) (No.66山:1999年7月26日)
 重症と言えるほど高所恐怖症だったケイコさん、変身していたことに気付かず別人かと思うほど驚いた登山だった。
 前夜泊った室堂の雷鳥沢ヒュッテを出発し、剣岳のベースキャンプといえる剣山荘着。まだ午前10時。ケイコさんは剣岳に今日登る気になる(予定では、今日一日ゆっくり休んで気持ちを落ち着かせ、明日登るつもりだった)。登山者の渋滞で有名な剣岳であるが、この時刻に登る人は少ない。
 途中、高校山岳部の連中と一緒になる。クサリ場に来ると極端に遅くなる。指導教官が恐縮して「今の子は子供の時遊んでいないからこれです」と先に行かしてくれる。
 ”前剣(2813m)”から山頂部を見る。標高差200m弱であるが岩峰が聳え立ち、岩の屏風(びょうぶ)に囲まれ、明治40年まで登頂不可能とされていた所だ。これを”ど迫力”という言葉で表現しておこう。
 ”平蔵のコル”に降りると、最大の難所”カニのタテバイ”。「今朝15分位渋滞した」とすれ違った人が言った。なるほど、中間部に垂直に近い壁が十数メートル続く。ここでもケイコさんは恐いと言わず、途中足場を1ケ所確認したのみで登りきる。鎖はチタン製で軽く細めで握り易い。足場、手がかりとなるネジを切った棒材が随所に埋め込んである。これほど初中級者でも登れるように安全対策を施した山は他に無かった。
 山頂で休んでいるのは数人のみ。  午後になり雲が湧き上がってくる。登山で一番恐い雷が来ない間に下山しようと写真撮影後すぐに下山開始。
 下りの難所”カニのヨコバイ”では、大学山岳部の連中がもたつき、不安定な場所で待たされる。この難所を過ぎた辺りでケイコさんは膝を岩にぶっつける。痛さでしばらく動けず。緊張の連続、この程度のダメージで乗り切れて良かった!。

 白馬岳(2932m:長野県・富山県) (No.98山:2004年7月1日)
 白馬岳は二人別々に登り、一緒に登ったことがなかった。秘湯と言われる蓮華温泉から登った。前日、午後2時前に蓮華温泉ロッジ着。寒冷前線の通過のため時々強い雨が降る。海水パンツをはき傘をさして露天風呂めぐりを行う。
 5分登った所は”三国一の湯”、湯船は1人が入れる大きさで湯花が多い、少しぬるめ。さらに5分登って展望が開けた所にある”仙気ノ湯”は湯花はほとんどない硫黄泉。アルプスを眺めながらの入浴写真を撮りたい箇所。さらに5分登ると”薬師湯”湯船の中の石にコケのように湯花が付着している、一番高所にあり、晴れた展望の利く日はさらに温泉気分もよいであろう。帰りは左の道を下ると”黄金湯”がある。湯船は檜作りで4〜5人は同時に入れる広さ。湯が濃い緑色をしている。
 4つの露天風呂はいずれも自然の源泉を取り入れ、湯質が異なっている。自然の中での入浴が楽しめる。最後に宿の内湯に浸かる。湯量が豊富で垂れ流しの贅沢さ。これはまさに秘湯だ。
 6時からの夕食は山菜料理。曲がり竹の子を焼いたものをマヨネーズをつけて食べる、これは初めての食べ方であった。やわらかくて酒のさかなにも良い。宿泊客は数人。8時ごろ疲れのため自然に目がとじる。<<温泉の宿ベスト1>>
 翌日は梅雨の中休みと言える晴天。定員1200名の白馬山荘は宿泊者十数名。2人で展望のよい部屋を貸切で使え、静かに自然に浸ることが出来た登山であった。

 幌尻岳(2052m:北海道) (No.百山:2005年9月14日)
 2年前の9月に登る予定で航空便や宿の予約を終えていた。8月10日の台風10号による大雨により幌尻岳登山の29名が幌尻山荘から下山出来なくなり、自衛隊のヘリコプターで救助される様子がNHKニュースで報じられた。登山道となる林道の復旧に2年を要し、今年8月に復旧した。
 幌尻岳は十数回の徒渉(川を歩いて渡る)がポイント。そのため川の水が少ない時、晴れた日が数日続くタイミングを週間天気予報で探して出かけた。
 日高山脈の山頂部の天気は下界の週間天気予報とは違っていた。新冠町(にいかっぷ町)の宿に着き、登山者に情報を聞くと、3日前は水量が多くて徒渉出来なかったという。山頂部は広大な氷河のカール地形を形成し、降った雨は漏斗(じょうろ)のように集められ川の流れとなる。
 中国大陸に上陸した台風15号が速度を速め急接近し、前日と登頂日は山頂部は雨。最悪と言えるタイミングだった。渓流靴をケチッて地下足袋で徒渉したため、岩場のコケで足を滑らせカメラを水に浸し大損害。ケイコさんが水に流されて転んだのは仕方ないとして、地下足袋で足の爪を痛め全治2ケ月のダメージを最後に体験した。

 <<追記-1>>
 思い出したくない出来事は?
 祖母山(1756m:大分県・宮崎県)(No.61山:1999年5月)に登るため、熊本空港のニッポンレンタカーでホンダ・ロゴを借りた。登山口にある”もみじや旅館”に泊り、翌朝、ロゴで一合目まで林道を行く。道が荒れているので慎重に走る。それでも木の枝を引きずったり、石に底突きしたりする。下山して、車の右前方付近からキィキィ音が発生しているのに気付く。ロゴの故障によるニッポンレンタカーへの営業損失費として2万円支払わされる。「車の修理代は後ほど支払ってもらいます」という。「車両保険に入っている」と主張すると、「警察に報告されていない事故は保険が適用されない」という。後日、20万円を越す修理代の請求がくる。人里離れた山の中の自損事故をどう警察に報告するのか? 何回かのやり取りを行い5ケ月後の結論は、ニッポンレンタカー側で事故が起きた林道の現地確認を行い、支払わないでよいことになった。これを教訓にして、以後、林道を走る場合はワンランク上のシビック、カローラ・クラスのレンタカーを利用した。悪路をいろいろ走ったがこのクラスなら大丈夫だ。

 <<追記-2>>
 夫婦で一緒に登ってよいことは?
 例えば、白馬岳に登った例でみると、一人で登った時は、”特急電車”登山になり、自宅からの日帰り登山であった。夫婦では、”鈍行電車”登山になり、山に2泊した3日間登山だった。1山あたりの自然に浸る時間が圧倒的に違う。そのためか、百山登ると、すごく登った気分・自然に浸った気分になり、心の贅沢感・満足感で一杯になった。
 お金と時間のかかる趣味であるが、誰かに了解を得る必要がない点もよい。

 <<追記-3>>
 使ったお金は?費用削減策は?
 1山平均2人で5万円。年間10山で50万円を目安にしていた。
 北海道や九州の山の場合、交通費だけでも高額になるので1 〜2ケ月前に安く予約する。現地で台風などに会い登れないことによるロスを無くすため、必ず1日 〜2日の予備日を組み込んだ。また2山 〜3山をセットで無理のないスケジュールで登ることに努めた。

 <<追記-4>>
 山登りについて思うこと
 山登りに必要なのは体力ではなく、登ろうという気持ちだと実感した。
 今年燕岳で親子3世代で毎年山に登る仙台からの家族に出会った。おじいちゃん85歳、おばあちゃん81歳、お父さん・お母さん40代、お子さん20歳前後の6人連れだった。さすがにおじいちゃんは途中でおんぶされたりしていたが、おばあちゃんは自力で登っていた。山で会う高齢者の方はニコニコしていて元気そうだ。

 <<追記-5>>
 今後の山登り
 今年登った燕岳のようなすばらしい山を探して登りたい(今年はコマクサが10年に一度という咲きっぷりだった)
 例えば、世界遺産の熊野古道や白神山地なども候補としてある。

記:大澤 敏夫(2005-12-20)