モンブラン山塊と針峰群

 モンブラン、何と柔らかい響きの発音だろうか。フランスの鼻にかかったアクセントが良く似合う。
 今回でヨーロッパアルプスでスキーをするのは3回目である。アイガーのあるグリンデルワルド、マッターホルンのあるツエルマット、今回のモンブランのあるシャモニーである。ヨーロッパの3大スキー場である。

 モンブランはアイガーや、マッターホルンと違いごつごつしていない。中年を過ぎたフランス女性のお尻のように実に堂々としている。標高(4810m)はヨーロッパアルプスの最高峰である。

 しかし、周りの山々は3000mから4000mを越える先の尖った岩山で囲まれ、これらがモンブランの守衛のように囲んでいる。

 シャモニーはモンブランと一心同体という意味から、正式にはシャモニー・モンブランと呼ばれ人口1万人のアルプスでもっとも有名な街である。モンブラン山群と岩肌むき出しの針峰群に囲まれた氷河谷の上にある。1942年に第1回冬季オリンピックが開かれていることでも有名である。シャモニーには“正統派”スキーヤーが集まる、と言われるだけあって、華やかさはない。どちらかというと地味である。

 今回はシャモニーのホテル、ル・プリオレ(修道士の意味)を定宿として、ブレバン、フレジェール、ロニオン・グランモンテ、レ・ズーシュのフランス側のスキー場と、イタリア側スキー場クールマイユールを滑りまくった。 しかし今回のメーンイベントはヴァレ・ブランシュの大氷河滑走であろう。

 スキーコースは多種多様、グルーミングされているコースは当然あるが、スキーは基本的には自然を相手のスポーツである。オフピステこそスキーの醍醐味とばかりに、ロープが張られているところをかいくぐってコース外の新雪、悪雪へと飛び出していく。

 これはガイドが付いていても、我々のスキー技術が多少低くても、ガイドが率先してこれがスキーだといわんばかりに新雪へ飛び込んでいく。運良くバージンスノーに巡り会ったとしてもせっかく刻んだシュプールは瞬く間にかき消されてしまう。

 出来るだけ長くシュプールを刻み込む為には危険を冒して岩場の間を滑らなければならない。どうしてあんなところへシュプールをつけられたんだろうと思うところがたくさんある。

 また林の中へも飛び込んでいく。林の中は雪が風の影響を受けにくく雪がやわらかいままになっている。しかし木の間を滑らなければならない。スキーがようやく曲がれるような木々の隙間を抜けて滑っていくのを見ると、回転競技の旗門はぶつかっても痛くないし彼らにとって気にならないのだろう。

 こちらではいているスキーの板を見てみると、当然フランスであるからロシニョールが多いが、日本ではオフピステ用として売られているロシニョールのバンディットUが多いのに気がついた。やはりスキーはグルーミングされたゲレンデを滑るばかりではないのである。

 よく見かけるスキースクールでは日本のようにフォームにこだわる教え方をしていない。先生を先頭にリフトやケーブルの頂上から、下まで先生のトレースをしながらついていくだけである。そこには急斜面やこぶ斜面があり、新雪、悪雪も当然含まれている。長距離を先生の後をトレースすることによって自然と斜面や雪質にあったすべりが身に付く教え方である。

 標高2000mを越えれば森林限界を越え岩場になる。岩に降り積もった雪の上を滑っていることになる。うっすらと積もった雪を、岩を確認し避けながら滑るのは日本にはないスリルを味わいながらのスキーである。

 こういう滑りの中で、事故が起きてしまったが、これは本人からのレポートを待ちたい。

 シャモニーからモンブラントンネルを抜けるとイタリアへ抜けられる。このトンネルはエギュイ・デュ・ミディの下をくりぬいて造られている。6年前に39人の死者を出した火災事故があり、3年前にようやく再開通したものである。イタリアのクール・マイヨールスキー場は同じEU内であり通貨もユーロが使える。

 シャモニーが雪でも南斜面にあるこのスキー場は晴れている日が多いといわれている。長野とオリンピック開催を争ったスキー場でもある。シャモニーで購入したスキーパスで滑れるのであるから、アルプスのスキー場はすでに国境がなくなっているのと同じである。

 やはりイタリアは明るい。太陽が出ているせいばかりではなさそうである。国民性があらわれて陽気である。ピステはこのところ雪が降っていないらしく、気温は低いのだが太陽のせいで雪が融けそれが夕方から冷え込んでアイスバーンになっている。岩肌の斜面からは草花が顔を出し春先のスキー場である。フランスからイタリア側へアルプスを越えるだけで突然違った顔のスキー場になる。

 昼食はゲレンデの中腹にあるレストランでとったが、赤ワインと手作りの2種類のピザ、3種類のパスタ最後にケーキのデザート、美味く腹いっぱいになった。 さすがマンジャーレの国イタリアである。

 シャモニー最もエキサイティングなイベントは氷河スキーであろう。 天候を見定め2月中旬以降の天候の良い日しか氷河スキーが出来ない。また山岳ガイドを付ける必要がある。

 3842mのエギュイ・デュ・ミディからの22Kmに及ぶ大滑降である。氷河スキーのヴァレ・ブランシュは三浦敬三さんが99歳の白寿を記念して滑ったことでよく知られている。

 何しろ標高1035mのシャモニーから一気に富士山より高い3842mまでケーブルで上るのである。33年前にエギュイ・デュ・ミディに行った時には、着いたとたんに気持ちが悪くなり、青いはずの空が黄色く見えたのを覚えている。カナダでのヘリスキーのときと同じく雪崩に巻き込まれたり、クレバスに落ちた時に位置がわかるようにビーコンを体につけさせられる。ザイル用のハーネスをつけると気持ちが高ぶってくる。高山病予防の薬を口に含みケーブルカーに乗り込む。

 エギュイ・デュ・ミディに着いても予防薬のせいか気持ち悪さは出なかった。 スキーのはけるところまでは200mほど稜線を降りなければならないが昨日までロープが張っていなかったという。今日からアイゼンをつける必要はなくなったが、ガイドとザイルを結び、まるで囚人のように一歩一歩スキーを肩に担いで下るのは大変辛い。

 氷河スキーはいろんなコースがとれるが、一見して平らであると思われるところに突然クレバスが現われてくることもある。白一色の中ではギャップもあまり見えない。丁度ゴルフの蛸壺バンカーのように隠れている。ガイドが注意深く様子を見極めながらコースを選び滑っていくのである。

 氷河の上に積もったバージンスノーを滑るのは実に気持ちがいい。地面が氷河の氷で覆われているので新雪が一定の条件になっていて極端な変化がないのも滑りやすいことにつながるのであろう。

 雄大なアルプスに圧倒されながらの滑りに較べると、ゲレンデスキーは箱庭にある盆栽のようなもので迫力がない。

 自然の中のスキーは突然のアクシデントもある。クレバスへ滑り落ちてしまった。 クレバスというと数百メートルの深いものもあるらしい。ひとたび落ちると中が複雑に入り組んでいて2度と引き上げることは出来ないとも言われている。落ちる途中で氷に体をぶつけて間違いなく死に至るらしい。氷の壁は青氷でとてもストックなどの金属でも引っ掛けることが出来ない。氷河の流れと共に数十年後に氷河の先端にバラバラになってようやく出てくるのである。

 大げさな表現をすると、氷で出来たアリ地獄のようなものである。自力では這い上がることは無理である。幸いにも新雪の積もっていた深さ3m位のところに落ちていたのでザイルで引き上げてもらい生還した。

 青氷の中でのひと時の感想は、恐怖感が全くなく、クレバスから覗いた針峰群と空の青さが印象的だった。

 氷河は地球温暖化の影響で毎年短くなっているそうだ。昨年はモンタベールのケーブル乗り場までしか降りられなかったらしい。 そこから昔氷河見物に使っていた登山電車でシャモニーまで帰らなければならなかったという。

 今年は途中20分の登りがあったが、シャモニーの街まで滑り下りてきたが、最近では珍しいことだという。これで最長22kmの氷河滑降が終了した。大自然を滑り降りたという満足感と、20分間スキーを担いで登ってかいた汗を流した後のビールは飲めない小生でも十分に美味かった。

 平均年齢65才は超えている21人のWSAメンバーは、まだまだ挑戦を続けている。ホンダでいう若さとは物理的な年令ではない。

★新鮮な心で物事を率直に受け止めることの出来る・・・感受性

★感じたことから先見と柔軟さで新しい価値を見出す・・・智恵

★それらをどんな困難があっても立ち向かい実践する・・・行動力

 スキーをやっていることは、自然に対する畏敬の念をもち、滑りながらも状況に応じた対応と素早い判断で予知予測を行い次のターンに移る。ホンダの若さそのものを実践していることになるのではないだろうか。

 自然相手のスキーは、天気次第では惨めな結果をもたらすこともある。1週間滞在してスキー場に立てたのはたったの3時間という人もいたらしいが。今年もまたWSA海外スキーは天候に恵まれ、同じ趣味を持つ仲間と共に楽しませてもらった。これで3大ヨーロッパスキー場を十分堪能することが出来た。

 今夜はケーキのモンブランを買ってきて、インドで買ってきた紅茶を入れて、しばしの想い出に浸ろう。

記:伊藤 洋(2005-03-03)