古稀

 70歳、あるいは70歳の年寿を祝う儀礼を「古稀」という。
 厚生省の人口統計によると、平成6年の日本人の平均寿命は女性83.0歳、男性76.6歳、そして平成9年には女性が83.8歳、男性が77.2歳となり、男女差は過去最高の6.6歳となった。
 昭和10年には女性49.6歳男性46.9歳と、現在では考えられないほど短かかった。それが戦後の昭和22年には、女性が53.1歳、男性が50.1歳と3歳ほど延び、さらに平成に至って、女性が約30歳、男性が約27歳にもなった。厚生省の推計では、寿命の延びはしだいに鈍化するものの、平成25年には女性84.6歳、男性77.9歳とされている。
 また将来どのような原因で死亡する確率が高いかをみると、「癌」「脳血管疾患」「心疾患」の3大死因が男女とも58%程度と半数を超え、これらの疾患を克服できれば、平均寿命はさらに延びる可能性がある。
 長生きすることはめでたいこととして、古来祝いの対象とする習慣があった。40歳に始まり、10年ごとに祝うのは平安時代から記録に見られる。中世以後10年ごとの賀は衰退し、長寿の賀は61歳(還暦)から始まり、77(喜の草体を七十七と読んで喜寿)、88(米寿)、99(白寿)歳となったが、70歳だけはどういう訳か残った。
 古稀の風習は杜甫の曲江詩の中にある「人生七十古来稀」の句に由来する。

   朝回日日典春衣   朝より回り日日春衣を典ず
   毎到江頭尽酔帰   江頭に到る毎酔尽して帰る
   酒債尋常行処有   酒債尋常行く処常に有り
   人生七十古来稀   人生七十古来稀なり

 杜甫は唐代随一の詩人(712〜770)で、詩聖と呼ばれている。 国やぶれて山河あり「國破山河在、城春草木深、」の詩は松尾芭蕉の「奥の細道」にも引用され、わが国でも古くから親しまれている。
 杜甫の人生も当然一本調子ではなかった。若い頃、科挙に落第し各地を放浪し、40歳を過ぎて仕官した。47歳の時の作品はこの頃の心境を詠んだものであろう。左遷されたため官を捨て、再び放浪の生活を送り、最期は肺を患って、770年湖南の舟中に病没した。自ら詩に「人生七十古来稀」と詠んだ通り、70歳までは生きられず、59歳でこの世を去った。
 さて、平均寿命は確実に長くなったが、はたして精神的にはどうであろうか。 孔子は「七十にして心の欲する所に従へども、矩(のり)をこえず。」と述べている。孔子ほどの人でもやっと70歳にして「矩をこえず」の心境に達したのであるから、凡人が70歳にして未だに迷い言をいうのもは当然のことかもしれない。
 明日のわが身のこととして、心しておきたい。

記:木田橋 義之(2003-09-08)