一人のエンジニアとして心がけてきたこと

 私は今年4月にEGを定年退職いたしました。1966年入社以来36年間EGのエンジニアとして色々と興味深い仕事を経験させていただき、大変幸せな技術者生活を過ごすことができたと感謝しています。ここで私が一エンジニアとして心がけてきたことを紹介させていただき、読者の皆様にとって何か参考になれば幸せに思います。

@ やってもみもせんで・・・・・・
 23歳で入社してから12年間は上司から与えられる仕事を夢中でこなしてきたように思います。この間、常に心がけていたことは若いうちは何でもやってみよう、色々経験してみようということでした。たとえ困難な仕事でも、やっても見ないで駄目です、駄目ですとは言わない。とにかく手をつけてみる。自分はどういうやり方でやったのか?もっとよい方法はないのか?そのことをいつも頭の隅に入れておく。展示会、講演会、などに行った時も何か利用できる技術はないかと目を光らせる。そのような中からおのずと解決策はでてくるものだということを学びました。

A 一つの技術領域にこだわり継続する・・・
 4年ほど継続してきた気化器の流量試験機の開発&キャリブレーションの仕事を外部の流量機器メーカに技術移転してから1年半ほど社内失業をしてしまいました。この間はバッテリチャージと考えてRテーマ探しをやっていたのですが、仕事のないストレスから胃に穴が開き2ヶ月ほど会社を休みました。再び会社に出てきた時、実用化の段階に入ったレーザ加工の検討を指示され研究を始めました。このことが今になって考えると私にとってとてもラッキーなことだったのです。38歳で愛すべきレーザ技術に出会い、以来退職するまで直接・間接的にレーザにかかわった仕事を継続することができたのです。

B 世界に目を向けてみよう・・・・・
 技術の壁を打ち破ろうとする時、そこには何か新しい技術的なインパクト(新しいツールが開発されたとか、新しい材料が開発されたとか、コンピュータを含めた制御技術が大幅に改善されたとか)が必要だと思います。
 新たに開発されたレーザ加工を使ってドライブシャフトのブーツバンド自動組付け溶接システムをはじめとして自動車部品の革新的な加工方法をいろいろと開発することができました。また、開発当初から最終目標としていた国際学会でのプレゼンテーションをフィレンツェで行うことができました。
 技術インパクト情報を感度高く入手するためには常日頃、科学技術文献速報、学会などの資料を読むだけでなく、インタネットを利用して関連メーカのホームページを覗いたり、また学会などには自ら参画して広く仲間を作ることが重要です。そのためには最低限の英会話は必要だと思います。
 私も多少英語が話せるおかげで、米、英、独、豪などの国のレーザフレンドができました。

C 技術検討会でPLにブースターを・・・
 定年前の3年間は技術コアメンバとして各種の技術検討会でチームの皆さんとディスカッションしてきました。
 検討会でブレーキばかり掛けていては私の存在意義はないのです。広く情報を集め、それらを関連するPLさんにトスしてあげ、技術者同士が会うためのお膳立てをしてあげることも重要な役目と考え行動してきました。時にはPLさんの腰に強烈なブースタを2本位付けて激励してあげられるような技術コアメンバでありたいと心掛けてきました。

D 技術論争は誰もが平等・・・・・・・・
 最後に一言付け加えたいと思います。技術検討会やその後のチームの皆さんとのお話から感じられることですが、技術論争をもっとしてほしいと思います。例えば実験の目的、何を得たいのか? パラメータは? 水準は? 予想に反したテスト結果が出たらどうするの? 日程はいつまでに終わらせるのか?
 技術ディスカッションは所付、B/L、PL、メンバ、技術検討委員すべて平等だと思います。どれを採用するかはその時々のマネジメントが決定することになっているのです。技術者はデータに基ずく事実を主張することがもっとも大切なことです。量産段階に入ればデータが全てを語ることになるのですから・・・。

《追記:EG技報「第10号」掲載原稿を転載。》

記:丸山 磐男(2002-10)