植林と本物技術で爽やかな西風を

 この5月に2度目の植林ボランティアで中国内蒙古へ行ってきた。位置的には北京の北東約600km辺りに広がるホルチン砂漠(九州ほどの大きさ)の南側で、かってはモンゴル特有の草原だった所だそうである。北京から夜行列車で10時間、線路の両脇にポプラの木がある他は見渡すかぎり畑か砂地の荒涼とした所にカンチカという小さな町があり、そこを拠点としてこの植林活動が行われている。砂漠化してしまったところを元に戻すのが目標だそうだが、何年かかるか分からない遠大な計画だ。

 カンチカから中国製ジープで1時間、砂漠化した現地に到着。この1時間の道が中々大変な道で、オフロード好きの人なら自分の車で走りたくなりそうな、しかしおんぼろジープでは内臓が腹の中で躍り上がっているし、グラブレールを掴んでいる手は硬くなって降りるときにすぐには開かないといった具合である。 これがこの地方の幹線道路なのだ。 たまにはバスにも出会うし荷物と人を満載した焼玉エンジンの三輪車がポンポンとゆっくり走っているのを追い越す。 彼等はこの酷い道に合ったスピードで走っているのだろう。落ちそうにもならずゆったりと乗っている。

 近くに小学校がある。といっても3.5km程離れているが、ここの子供たちが一緒に植林をするのである。将来のふるさとの森作りとも言うべき教育の一環ではあるがこの子供たちが実に良く働くのでびっくりする。シャベルやバケツを学校から歩いて持って来て2時間ほど我々と一緒に植林をして歩いて帰るわけだが、その間ぼやっとしているようなのは一人もいない。この嬉々として働く様子を見て私は考え込んでしまった。これは特別なことなのか? 自分たちの子供の頃はどうだったのだろうか? 全体の生活環境は日本で言えば、私が小学生だった昭和20年代の田舎のようなもので、思えば当時田舎の小学生は結構良く働いていた気がする。そうするとちょうど私の50年前の姿を見ているようなものだと気がついた。ガタガタの砂利道を静かに走ってくるアメリカ人カップルの白いオープンカーに見入っていた小学生の私。

 50年前の私と今の私、小学生と還暦を過ぎた男、敗戦後の超貧乏国と一級の経済大国、こういった変化が彼等にも訪れるのだろうか。50年後草原と森は蘇っているだろうか、その中のきれいな道を無公害車で彼等は走っているのだろうか。きっとそんな風になるだろう。なって欲しいと思う。

 この50年私達は様々な技術の恩恵に浴してきた。そしてまたそのことによって豊な国になった。しかし本物の技術はそれほど多くはない。材料やエネルギを湯水のように使う技術や、害のある物や不要な物を作り出してしまう技術、こういったものは本物の技術とはいえない。最少の材料とエネルギで目的を達し、害のあるものやごみを出さない技術、これに向かって挑戦してきたのがHondaであろう。

 たとえ「いい格好しいの会社」と陰口を叩かれようともこの本物の技術に挑戦し続けて欲しい。商品の技術も生産技術も。
 そしてそれが世界に普及していくことを心から祈りたい。
 爽やかな西風を吹かせるために!
 そしてあのきらきら光る目の内モンゴルの子供たちのためにも。

《追記:EG技報「第10号」掲載原稿を転載。》

記:柳沢 孝(2002-10)