毛勝山(日本二百名山)登山記

 難しい山から登る
 日本二百名山を意識して登り初めて3年目。百名山に較べて山頂での達成感に大きな差があることがわかる。達成感の少ない二百名山の完登を目指すかどうかはまだ決めてていない。しかし、山頂での達成感が期待できそうな難しい山には登ろうと考えている。その難しい山は10座位ある。その中でも特に難しいと思われる山が毛勝山(富山:2414m)である。

 登山道がないので積雪期の登山となる。標高差1400mの雪渓(注:白馬岳の大雪渓は標高差300m)を登る。特に山頂付近は斜度30度の雪渓の急登が標高差300m位続く。一番危険なのが落石である。雪渓の上を転がり落ちるので音がしない。独りで登るにはリスクが大きすぎる。勝手を知ったエキスパートと登るか登山ガイドが案内するツアーに参加するしか方法かない。

 いろいろ調べていると、近畿日本ツーリストに二百名山を登る企画が出来た。5月に毛勝山に登るというので2月末に申し込む。案内書を見ると8本歯以上のアイゼン、ピッケル、雪山用登山靴、ヘルメット、安全ベルトなどが必要となっている。持っていない装備は購入したが、雪山用登山靴すなわち革製登山靴は足慣らしが必要だ。毎朝のランニングを革製登山靴を履いてのウォーキンクに切り替え100km以上歩いて足との相性をチェックした。

 近畿日本ツーリストのツアーに参加
 5月24日から26日まで2泊3日のコースで毛勝山と金剛堂山(富山:1650m)に登って会費が8万円。これでは参加者が3〜4人であろうと考えていた。なんと10名の定員を15名まで増やし締め切ったのが2ケ月半前と大盛況。
 参加の動機を聞いてみると、二百名山の完登を目指している人はごく僅かである。ほとんどの人が永年登りたい山として頭の片隅に置いていた山であった。
 会費が高い理由の1つが行きは上越新幹線と特急で富山県魚津市へ。宿泊はホテル。移動は貸切バス。帰りは富山空港から飛行機。土曜日と日曜日の山登りに時間と体力が集中できるように企画されている。
 近畿日本ツーリストの添乗員はどうか?カナダのスキーツアーでは好評だった!。今回は30歳前後の女性添乗員である。乗り物、宿泊、食事、温泉入浴など全て1人で対処している。登山時はガイドの助手をつとめる。40代の男性が足を痛めると、すぐ彼のザックも背負う。山頂でのコーヒーサービスの材料を背負った上でのこと。この添乗員もよくやってくれた。近ツリの社員教育が行き届いていると感心した。

 事前ミーティング
 24日魚津のホテルに着いて、夕食後、明日の毛勝山登山の事前ミーティングを行う。登山ガイドはリトルアドベンチャーというカイド団体と契約している。毛勝山には3名のガイドがサポートする。ガイドは10日前と今日と、2回も下見をしている。下見の結果、ポイントが2つある。今年は雪解けが早く1ケ所渡渉が必要、流れが速く冷たく膝以上の深さがある。もう1つは、斜度30度の雪渓の登りと降り。この2点の対応をロープを使って模擬練習を行う。

 登 山
 25日ホテルを午前4時にバスで出発。約50分で毛勝山の登山口にあたる車止め(標高920m)着。ここで準備体操をし4班に分けて登り始める。今年は雪解けが早く板菱(標高1020m)で渡渉が必要となる。ここで靴を脱ぎ靴下1枚になり、ガイドが渡したロープに各自の安全ロープを結んで渡渉。ここから標高差1400mの雪渓の登りが始まる。12本爪アイゼンをつける。手にはピッケル。

 山頂直下の斜度30度、標高差300m位の急斜面が最大の難所だ。2つのグループに分けロープに3m間隔で補助ロープを結び、前後をガイドという編成で数珠繋ぎになって登る。途中、直径10cm位の落石が私と下の人との間を通り抜ける、冷や汗が出る。落石のスピードが若干遅かったため避けることが出来た。中間あたりで左足の筋肉がつりはじめる。急斜面を登りきり尾根に出ると北アルプスの全山が見渡せる大展望がひらけた。

 今日は全山雲がかかっていない晴天だ。特に、近くにある残雪の多く残る剣岳がひときわ際立って立派に見える。重たいカメラと三脚を持ってきた甲斐があった。山頂でガイドが沸かしたコーヒーが暖かくうまい。充実した達成感、生きる幸せを感じるひと時である。

 下山時、斜度30度の雪渓の下の方に降りてきた時、上の方から「ラック(落石)!」という大きな声が聞こえてきた。振り向くと直径70cm位の大きな岩が車輪のように転がり落ちてくる。雪渓の右端から我々のグループが下降している雪渓中央部に向ってくるではないか。ロープでお互いを結びつけているので逃げようにも体の自由がきかない。一瞬パニック状態となる。石は我々のグループの中央部を通過した。私の場所から数m下の人のヘルメットに衝撃を与えて通りすぎた。奇跡的と言おうか、その東京在住71歳のAさんは無事であった。Aさんの気持が落ち着いた翌日の言葉、「私は9歳のときから山登りをしており、その体験から、反射的に体を伏せたので助かった」

 またこのツアー中にAさんが言った印象に残る言葉を追記する。
「私の仲間で、目標を持っていない者は既にボケてしまっている。百名山を登ったら、例えば二百名山に登るとか、目標を常に持つことが必要だ。」

 毛勝山には今年登山道が完成する。この雪渓を登る人は今後一部のマニアだけになるであろう。このパニック的な思い出は忘れ難いものになるであろう。

記:大澤 敏夫(2002-06-12)