定年退職後に会社経営

 株式会社ベトロニクス・ジャパンを創立
 ホンダ定年退職(1989年)の2年前、本社サービス技術開発部に在籍時、私が提案した結果担当することとなった、自動車の電子制御部位のサービス工場用診断テスターの開発を依頼した、カリフォルニア州サンタ・バーバラにあるVETRONIX CORPORATIONの社長から誘われて、定年退職の翌年(1990-09-11)、川越市内に上記法人を設立することとなりました。

 出資はアメリカのVetronixの社長と私で行い、両者が代表取締役でしたが、VERTONIX(Vehicle Electronicの合成語)の社長は日本には不在で、もっぱら私が経営の責任を負ってきました。

 以後ホンダの診断テスター「PGM テスター」とその「診断アプリケーション」の開発配布を終えて、スズキ、いすずのために「TECH 1テスター」と「アプリケーション」開発配布を手がけ、さらにトヨタ海外サービス部のために「INTELLIGENT TESTER」「NVH TESTER」「TOYOTA BRAKEOUT TESTER」などの開発とアプリケーション配布を行い、さらに日産の「CONSULT-II TESTER」の開発に関係してきました。最後には三菱の「NVH TESTER」開発に関係し、2000年11月末に、私が71歳3ヶ月のとき同社を退職し、第二回目の退職を迎えました。今、年金生活2年目です。

 私自身ホンダを退職後、何もする計画がなくて、どうなるのか、と思っていましたが、在職中の経験と実績が生かされて、上記のように小さな株式会社を設立し、その経営経験をさせて頂きました。仕事はホンダ在職中より忙しくなり、日本の自動車会社6社から仕事が取れて、面白い仕事ができました。

 お蔭様で、退職後11年間、どんな問題でもやりとげることが出来、なれない英語で、仕事の考えの違うアメリカ人と理解しあい、張り合ってこられたこと、くたびれを知らずに、健康で夜中まで働けたことは幸せでした。ホンダ在職中とは異なり、周りに助けてくれたり相談できる人が全くいない状態で、一人で考え工夫して仕事をこなして来れたこと、町で採用した従業員を育ててこれたことなど、ホンダで私を育ててくださった皆様のお陰です。お陰さまで、ホンダ退職後アメリカに仕事でも、家族的にも、合計25回以上行くことが出来、東南アジアやヨーロッパ、中近東の訪問もできて、英語も上達できたことは、私の人生にとって楽しい経験でした。

 このテスター開発は、ホンダはもとより自動車メーカーのためであり、サービス工場やお客様の困りごと解消に役立ち、かつアメリカの企業に仕事のチャンスと利益を与えました。
 この会社の退職に当たっては、私達夫婦をアメリカに招待してくれて、盛大な退職パーティをしてくれて、たくさん記念品などもいただき、私達の働きに感謝してくれました。

 一般的に定年退職者が、60歳になって、「自分はいよいよ年をとってきた」とか「もうばかばかしくて仕事なんかしたくない」とか「これからのんびりと気ままに、好きなことをして、苦労はしたくない」などと考えている方もあると思います。でも何かに打ち込むことが出来ると、生きがいがあって若さを保ち、人生が活性化してきます。

 楽しみは自分で作る
 「楽しみは自分で作る」が私の人生のモットーで、必要な仕事は苦労しても買って出て、それを乗り切るために、いろいろな工夫や努力ができて楽しくなります。
 私は、まもなく73歳になりますが、あのカナダの極寒の中の山スキーをEGOBの皆様と一緒に、無事にやってこられたことは、楽しみを自分達で作った楽しみでした。

記:加島 清美(2002-04-24)