リサイクルについて思うこと
ー 日本車の最後の姿、ロシアにて −

 環境問題がクローズアップされ、新聞雑誌をにぎわしている。小生も自動車のリサイクルに関して自工会活動を通じて取り組んできたので感想を述べてみたい。

 リサイクルというと響きの良い言葉であり何か良いことをしているように錯覚する。高度成長時代の大量生産大量廃棄の時代は終わり、いかに循環型社会を構築し廃棄物を少なくしていくことが重要であることは理解できる。しかし本当のところリサイクル大事と分かっていてもいざ実行するとなると大変な困難を伴うのである。今から35年ほど前までは使用済み自動車の問題は出ていなかった。車自体が少なかったせいもあり廃車自体目立たなかったにかもしれない。また今問題になっているダストとなる樹脂部品が少なかったせいもある。

 ロシアの自動車状況を経済産業省(昔の通産省)のミッションで調査したことがある。車は右側通行の国であるが右ハンドルの日本の中古車が80%以上を占めてロシアの街を走り回っていた。日本での使用済み車は約10年前の車で10万km以下の走行距離である。ロシアの車は日本の10年前の車をさらに10年間も乗り続けることになる。乗り続けるためには補修部品の供給が大変重要である。しかし部品が容易に入らない状態では廃車となる車は貴重品である。全ての部品が取り除かれ再生されまた補修用部品として活用される。サスペンションのコイルスプリングは焼き入れし直してもう一度使う念の入れようである。残ったドンガラは鉄の箱となりロシアの大地で長い年月をかけてまた鉄分の多い土に戻っていくのである。気の遠くなるようなリサイクルではあるが、発展途上国はおおよそこのような状態ではないだろうか。

 大量生産大量消費時代のリサイクルは少し考え方が変わってくる。廃棄される車も多く手でいちいち車をばらすわけにはいかない。シュレッダーに入れて細かく破砕することによって鉄や非鉄、ダストに分類している。大量の処理は出来るが廃棄物も大量に発生する。これらは埋立処分されていたが埋め立て地の不足がリサイクルの推進に拍車をかけている。廃棄物の中には当然リサイクル可能な有用資源が混在する。

 今、経済産業省で「循環型社会を構築」のため、使用済み自動車のリサイクル法の法制化へ向けて検討がされている。すでに容器包装リサイクル法と家電リサイクル法は施行されている。今まで税金で処理されてきたものが企業や消費者に直接負担を求め、それによってゴミを減らしリサイクルを推進しようとする仕組みである。施行されてから現実の姿はどうだろうか。ペットボトルは処理できないまま放置されているし、河原や山林などへ家電の不法投棄の増加をまねいている。リサイクル率も法の施行前と変わらないと言うデータも出ている。リサイクル自体、ものすごいエネルギーとお金がかかる行為であることが実感として分かり始めてきたのである。

 地球環境を守ろう、そのためにはゴミの発生を抑えよう、部品や製品を再利用しよう、再資源化してもう一度使おうということが言われている。全て正しいことである。しかし経済性が合えばという条件が抜けているのである。シュレッダーダストの中には車に使われているワイヤーハーネスなどの銅が約3%の含まれている。銅鉱石の銅の含有率は約0.4%であるからシュレッダーダストを原料とし用いた方がいいように思える。単純な素材のバンパーでさえ廃車からリサイクルされていないのである。大量生産を前提とした生産システムがリサイクル材を受け入れることによってコストアップになるのである。

 リサイクルは廃車の行く末を考えてみるとロシアや開発途上国の例からも、もはや地球規模で考える時代である。世の中大きく変化したり物がなくなれば別だが、実行するには我々の意識を変えるしかないだろう。
 今はリサイクルは経済性で判断されているが、世代間にまつわる問題で、時代遅れで結果が明確になってくるものと認識して取り組むべきと思う。

記:伊藤 洋(2002-01-08)