日本百名山完登記

 「そんな神経質でよく百名山が登れましたね」完登時に山仲間から言われました。本当に私は見た目にも体は細いし、胃は弱いし、従って食事の量も少ない。最大の弱点は、場所が変ると眠れないのです。山小屋の夜はシーズンオフを除き多くの場合、混雑しています。就寝後も大楽器編成でいろいろな音や声が聞こえます。それぞれ抑揚をつけて、時折しかも突然、レチタチーボの様な独り言が聞こえたり、意味は解りませんがかなり激しいものもあります。

 この様な小屋でなく、テントなら自分達だけで静かな夜を過ごす事が出来ますが、これが又大変です。テントにポール、寝袋、食料、コンロ等荷物が重くて痩せた私には担ぐのが容易ではありません。仮に持てても、晴天時は良いが、時として風雨が強い時には壊れないかと思う位変形して大きな音もします。 最近のポールはグラスファイバーで軽くて良いのですが、よく撓るし変形も大きい様です。夜半大きな音で目がさめて飛ばされないかと不安に思う時があります。これが又私の眠れない原因になります。

 その他、野営の場合時折、テントの外に置いた食器や残飯を目当てに、夜半小動物が来て、がさがさ音をたてる時があります。なにかしら可愛い感じもしますが、気にすると眠れないものです。結局何処でも私は眠れないのです。

 山小屋のトイレも大変です。臭気と暗さ、稀に水洗もありますが谷の斜面が見えて風が下から吹いて来る所もあります。 私は手洗水やらウェットティッシュやら荷物が増えます。更に最近は水分不足になると血栓が出来易いとか、中高年は喉の渇きが解りにくいので頻繁に水分補給せよとか、水の消費量が増加します。

 この上に最近は沢の水が使えない場合が増加しています。この様に全て神経質に反応するから水の所持量が益々増加するのです。従って、長い期間を要する縦走は大層きびしいものです。大体4日目には疲労が蓄積してしまいます。その後はバテるしかありません。

 これをどう対処するか、早く歩くのです。トレーニングの一つとして筋力トレーニングを時折やっていますが、同じ荷重ならゆっくり動かす方が早い時よりきつい場合があります。これと同じ理屈です。しかし早過ぎると疲労が早くきます。山の教科書と反対になりますが、この折り合いが大事なのです。結局、歩く速さは一人一人固有の最適速度がある様です。

 山の知り合いの方で千山登頂を目指している方がいますが、この様な人は山小屋でも良く眠るし、ご飯もどんぶりで3杯(山小屋のご飯はゴミを出さないために少なめに盛る)も食べて支度も早いのです。この様な人は羨ましい位に強い。

 こうして考えると、どうも私は登山に向いていない様です。しかし、結果的には何とか登る事が出来ました。これには山仲間との関係が重要な要素になります。山歩きはかなり長時間の忍耐力を必要としますが、一人でこれに耐えるのは結構大変です。

 私の場合、単独で歩くと歩く速度はやや速め、神経質なので緊張の連続です。コースを知り尽くした場所なら良いのですが、ルートが見つけ難い場所もあります。実際つまらない所で道に迷いアルバイトを強いられた事も度々あります。

 この点でも、多くの山仲間を持ち一緒に登る事は大変良い方法です。しかし仲間も気が合わないと、却ってストレスになる場合があります。他のスポーツに比較して共同生活時間が長いのです。私の場合は、この点について大層恵まれていました。山楽会、野歩路会、近所の山岳会等、親しい仲間に支えられて山に登ることが出来たと考えています。しかし百名山の様に計画登山の場合は、個々の計画と時間が合わない場合があります。特に完了間際になると、残った山が皆それぞれ異なるので、同行出来ない場合が多くなります。北海道の不便な山に登山予定の無い人に同行を依頼する事は出来ません。

 こんな訳で単独行も中高年はきつく、ツアーに申し込む事になります。しかしツアーも65才までは問題ありませんが、それ以上の場合条件が厳しい場合が多くなります。従って65才までに完登したいと考える人が多いのです。「山は逃げないのだからゆっくり登れば」と仰る人がいますが、この様な事情があります。私も体力の低下を気にしながら64才までに登った山は96山でした。各種の事情が重なって4山残ったのです。今年が最後の年と考えてトレーニングに励み筋力の低下を阻止して登った山は次の通りでした。

  岩手山(2038m:岩手)<No.97>
 地震で三年間入山禁止でした。雨の開山日に登りましたが、地元の期待が大きく、警報装置が随所に設けての開山でした。山小屋は素晴らしくきれいでトイレも宿泊できそうなくらいです。コマクサも盛りで驚く程に沢山咲いていました。下山後、空はきれいに晴れました。年間を通じて晴天は非常に少ないそうです。わずかな地震で入山禁止とはと地元では不平の様子です。

 飯豊山 (2105m:福島)<No.98>
 アプローチが不便なのと日数が掛かるので伸び伸びになっていた山です。旧友と2人で梶川尾根を登りました。稜線に出たらヒメサユリが優しく迎えて呉れました。稜線漫歩はガスの中でしたが、花と雪渓が随所にあり別世界でした。本山頂上も強風です。神経質が功を奏しました。私の滅菌ガーゼとテープで本山下の怪我人を緊急援助が出来ました。勿論病院まで連れていきました。

 聖岳 (3013m:静岡/長野)<No.99>
 大雨で聖平まで登りながら戻った事がありまして、3回目の挑戦です。前日の雨で林道が崩れ、易老渡のはるか手前から西沢渡までアルバイトでしたが、頂上では晴れて赤石岳がドーンと大きな姿を見せて呉れました。薊畑の花は見事でした。聖平の小屋は営業期間も短いので何時も混雑しています。

 鳥海山 (2236m:山形)<No.100>
 3回目の挑戦です。特に、昨年は麓のホテルで3日間も雨が止むのを待って帰った事があったので今年は何としてもと考えていました。その甲斐がありまして、快晴に恵まれました。
 頂上小屋の窓から街の明かり、海上の漁火も見えましたが何と言っても星空がきれいでした。朝早く稜線に立ちますと「影鳥海」も海上に映っていました。

 こうして私の百名山は完了しました。中高年登山を始めて20年、何時の頃からか百名山を意識してから6年の歳月が過ぎていました。大自然に対する畏敬の念と絶えず励まして呉れた山仲間の友情に対して、心から御礼申し上げます。「お陰様で登らせて頂きました」と。

記:杉山 守(2001-11-28)