62.2Kmを歩いて

 布引伝説 幻牛(ゆめ)を追って善光寺
 9月1日〜2日にかけて小諸の懐古園から長野の善光寺まで62.2Kmをただひたすら歩いてみた。そこは、昔おばあさんが夢中になって牛を追いかけた「牛に引かれて善光寺参り」の伝説の地である。現在は高速道路が開通し、小諸〜長野間は車で1時間足らずで行くことが出来る。リタイヤして数ヶ月しか経っていないし、会社での体力測定ではまだ20才台とのお墨付きをもらっていた。またテニス、山歩きで鍛えているので気楽な気持ちで参加した。

 小諸の懐古園をTV局のインタビュを受けたあと、太鼓の音にせかされ17:15に第一のサービスポイント海野宿へ向けて歩き出した。千曲川のほとりを左に断崖絶壁に建てられた布引観音を見、右に島崎藤村の想いで千曲川の流れを楽しみ足取りも軽く、走ってもいけるのではないかと思えた。海野宿まで11.8Km、2時間15分で歩いた。5000人もの人が普通の道路を車に気をつけて2列で歩くのだから追い越しもできないし、平均時速5.2Kmである。サービスポイントで水を少し飲んでトイレ休憩をし次のチェックポイント上田城まで10Kmを歩き始める。歩行者の列も多少バラツキはじめ歩きやすくなる。川が道路の真ん中にあり宿場の面影を今に残す「北国街道 海野宿」を薄明かりを頼りにひたすら歩く。

 上田城チェックポイントへついたのは22:15、もう5時間もあるいたことになる。工程の約3分の1の距離である。ちょっとした夜食のおにぎりを食べ上田城の公園で休憩を取る。たいていの人は地面に腰を下ろし足を投げ出し疲れてきたように見える。チェックポイントのスタンプを捺してもらい次のチェックポイント戸倉まであと10Kmを歩き始める。国道の端を車を避けながらひたすら歩く。坂城のサービスポイントをすぎ、あと5Kmで戸倉CPであるが前半に歩いた5Kmと違って足取りが重くなってきた感じになってきた。

 戸倉CPへは0:50に着いた。すでに34.4Kmを歩いたことになる。小学生はここでゴールである。スーパーでバナナとポカリを仕入れて後半の体力確保とたまった疲労物質、乳酸の分解に備える。最後のCPである篠ノ井まで49.1Kmを歩き始める。ここからは堤防沿いのサイクリングロードを道路におかれた行灯の明かりを頼りに歩く。歩いている人もまばらになり少し寂しくなる。CPまでの途中にサービスポイントが2〜3Km間隔で設定されて水やリンゴが用意されている。そのたびに立ち止まって休憩をしたが、歩き出す度にペースに乗るまでに時間がかかるようになってくる。サービスポイントから次のサービスポイントまでの歩く距離が長く感じられるようになってきた。足の指先も充血してきた。かかとはどうもまめが出来たらしい歩く度にちくちく痛んできた。

 篠ノ井CPに着いたときには完全にかかとのまめは破れてしまった。篠ノ井CPからゴールの善光寺まで残り13Kmであるがここからが苦難の道のりが待っていた。川中島、青木島、丹波島、とサービスポインとがあるが、足を止めてしまうと最初の足が前に出なくなるので常に足を動かしながら水分補給をした。川中島をすぎた頃から東の空が明るくなりまわりの景色も見え始めてきた。しかし風景を余裕を持ってみる元気がなくなっていた。ただひたすらに前方1mの道路を見つめてただ黙々と歩くだけだった。

 長野市内に入って善光寺の道路標識が出てきて残り距離が出てきた。信号機も稼働し始めているが、赤信号になって歩くペースが乱されないことを願いながら歩いた。赤信号で止まると膝から崩れそうに思えた。最後の難関は善光寺の表参道から本堂へ向かう坂道である。疲労物質が飽和状態に達した体にむち打ち石畳と階段を歩くのだが、歩こうとする意志に足がついていくのがやっとであった。

 2日の朝7:00に本堂に着いてゴールしたときは体力年齢20才台の自信はすっかりなくなってしまっていた。13時間45分で62.2Kmを歩いたことになる。休憩も入れて平均時速4.5Kmである。毎年参加している友人の話だと15時間以上かかると言っていたから早かった方に間違いないがそれにしても足はまめだらけ、爪にも血豆が出来ていた。まめの出来た足を引きずりながら電車で小諸に戻った。千曲川の対岸にある布引温泉に入り疲れた体をいやした。浴槽から見えた浅間山の噴煙を見たらまた挑戦する意欲がわいてきた。

記:伊藤 洋(2001-9-22)