念願の戸隠山に登る

 念願の山
 戸隠スキー場から眺める戸隠連峰は鋭い断崖絶壁をなし、豪快そのものである。天照大神が隠れた岩戸を手力男命が開けたとき、勢いあまってここまで飛んできたのが戸隠山だという伝説がある。初めて戸隠でスキーを楽しんでから30年以上になる。
 来るたびに「立派な山だな!」と感嘆しながら滑っていた。9年前に山登りを始めて「いつか登ってみたい」と思うようになる。今年2月に戸隠山荘に泊まったとき、管理人にその話をすると、「昨年外国人が”蟻ノ塔渡り”で滑落死している、危険ですから登らないほうがよいですよ」と2度・3度と忠告してくれる。
 この熱のこもった忠告が気になり「日本二百名山ガイド」「日本三百名山ガイド」「日本300名山ガイド」などの本を購入して調べる。「登山コースは大半が岩場のルートでクサリ場も多い。とくに垂直の胸突き岩から”蟻ノ塔渡り”と言われるナイフリッジを通り、”剣ノ刃渡り”と続く箇所は注意が必要だ」とある。

 戸隠山に登る
 8月17日、3時に家を出発。関越道・上信越を通り6時前戸隠牧場着。車をここに置き、遊歩道を通って戸隠神社奥社に向う。奥社で安全祈願をし登山口で登山カードに記入、ボランテアらしき係の人に渡す。戸隠山の案内図を受け取って登りはじめる。ゆっくり登ることを心がける、ただし小休止を1〜2分しかとらないため、すぐに夫婦2人連れを追い抜き、男性2人組を追い抜き、あとで知ったトヨタの男性を抜く。百間長屋をすぎると次から次ぎへと鎖場が現れる。夫婦連れが降りてくるので聞くと引き返して来たという。
 そこから上は標高差150m位の岩場で、これでもかこれでもかという感じで鎖場が続く。戸隠の岩は溶岩にこぶしくらいの火山岩が突き刺さっており足場が方々にある、しかし案内書の注意書きに”風化や崩壊が激しく、手がかりや足場にした岩がぬける”とある。実際1ケ所ではあるが手にもった岩がグラッと動いたのには驚いた。最上部の斜度70度の胸突き岩を登りほっとする間もなく難所の”蟻ノ塔渡り”と”剣ノ刃渡り”が待ち構えている。
 幅50cmというのでこれだけあればと事前に考えていたが、上部は平坦ではなくごつごつと凹凸のある岩、左側は落差150mの絶壁であり、立って歩く気にはなれない。四つんばいになって慎重に岩登りの基本である”3点支持”を守って渡る。
 八方睨ピークに着いて初めて気が休まる。戸隠山は手ごたえのある山であると改めて見直した。私流に言い換えると、岩登りの基本技術をマスターしておれば60才台のおばちゃんでも登れるが、それが無いと、体力特に腕力が要求される山である。

 トヨタ氏と同行
 八方睨から一不動まで尾根道を2時間歩く。ここからトヨタの人と一緒に歩く。「どこにお勤めですか」と聞くので「ホンダに勤めていました」とこたえると、「私はトヨタです、敵ですね」という。「トヨタの多くの人と仲良くお付き合いをしましたよ」と切り返す。
 私は、企業間の競争と個人の付き合いは切り離すべきと考えている。トヨタ氏は51歳、試作車関係の業務を担当、山に登りはじめて6年、今年1人で西穂高岳から奥穂高岳間(日本の一般縦走路としては一番グレードが高い)を縦走したつわもの、今後は冬山を目指している。13時戸隠牧場に下山後、トヨタ氏を奥社駐車場まで車で送り、かつ、一緒に”たんぼ”というソバ屋で大盛りザルソバを食べる。トヨタにはA・B・Cと3つのクラスの山岳部があり、昨年Aクラスの2名が剣岳で滑落死したという。
 ホンダでは30年位前の5月連休に唐松岳で1名が遭難死した。ご立腹の本田宗一郎さんに山岳部の安井さん等が遭難報告をした。その後、部活動の話を聞かない。ここで山での再会を期してトヨタ氏と別れる。トヨタの人と山で会うのは2度目。最初は北アルプスの常念小屋で6畳間に4組8人で泊まったとき、私はトヨタに勤めていますと30代半ばの若者が元気よく誇らしげにただ一人自己紹介をした。これまで会った2人とも自分の会社に誇りを持っている感じで、トヨタという会社はよいところがあるなと思った。

記:大澤 敏夫(2001-9-14)