スペイン旅行記5月14日から25日までスペイン、ベルギー、ドイツへ旅行してきた。3月にリタイヤしてから初めての海外である。 リタイヤする前の仕事が自工会のリサイクル廃棄物部会の委員をやっていた関係で、スペインのバルセロナへいける機会に恵まれたのである。仕事3割遊び7割である。もちろん会社を離れているので手当ても何もつかない当然自費である。 但し交通費は無料であった。 スペインは今回で3回目である、前回はバルセロナオリンピックの開かれる前の年であった。オリンピックスタジアム完成寸前であった。有森が最後に抜かれた坂を歩いてスタジアムを見に行った記憶がある。ホテルから近かったので毎日朝の散歩をかねてオリンピックスタジアムまで行ったがマラソンの終盤には本当にきつい坂である。バルセロナには強烈な印象が残っている。ピカソやガウディ、コロンブスまで市内のあちこちに足跡を残している、また開拓者、芸術家の精神が受け継がれている。 サグラダファミリア、ガウディの設計した教会であるが100年以上前に建設が開始されたがまだ完成していない。これからも100年いや200年以上かかるといわれている。今回も見に行ったが変化がほとんど見られなかった。内部に至っては何も手を手けられないままである。それでも見に行く人が絶えないのは今までの教会のイメージを破壊するようなその特異な形と自然から学び取ったという設計理論からだろうか。おそらく、この教会は永久に完成しないだろう。完成しないことが観光資源となり人々を世界中から集めることが出来るのだから。その他ガウディの作品は市内のあちこちに残っているし実際にまだ人がすんでいるところもある。 旅の楽しみは食にある。スペインの食は日本人の口によく合う。地中海に面した海岸地方では魚が新鮮である。狂牛病などでヨーロッパで肉を食うのはためらわれたので今回の食事はほとんど魚主体であった。パエリャ、えびや貝類と米を一緒に味付けしたものだがスペインの長い硬い米とオリーブ油が実によく合う。いろんなレストランで食したが味付けが微妙に違い飽きずに楽しめた。イカ墨の入ったパエリャは実にまろやかないい味であった。
5月中旬のスペインは夏時間もあり夜の9時半ぐらいまで明るい。シェスタという昼寝の時間をたっぷりとり休養してその後ちょっと仕事をし、夜は飲んで食べてエンジョイするのが過ごし方らしい。食事は暗くならないと雰囲気が出ない。毎日昼飯は2時ごろになり夕食は10時頃食事を終えて寝るのが1時過ぎという生活が当たり前になっていた。 バルセロナでの国際会議は18日で終わり後はグラナダへ行ってきた。バルセロナから飛行機で1時間くらいのところにあるアンダルシア地方である。グラナダで有名なのはアルハンブラ宮殿である。バルセロナから飛行機で1時間くらいのところにあるアンダルシア地方である。グラナダで有名なのはアルハンブラ宮殿である。セコビアの有名なギター曲「アルハンブラ宮殿の思い出は」誰でも一度は聞いたことがあるだろう。
スキーの世界選手権を行ったシェラネバダ山脈が近くに見えるところである。
バルセロナと違い都会的な雰囲気は少ないがスペインらしさはグラナダがもっている。
アフリカも近く町には黒い人も多い。フラメンコはこの地方が原点だという。ジプシーの切ない思いを踊って叫んで表現したものである。バルセロナでもフラメンコを見たがどちらかというと美しいがショー化していた心を打つものが少なく感じた。グラナダの中のアルバイシン地区には山の岩場をくりぬいて住宅にしているところがある。夏は涼しく、冬も暖かいというので今は別荘にして使っている人もいるらしいが、もともとはジプシーの住居である。そこで見たフラメンコはジプシーの心の叫びを聞いた気がした。フラメンコは踊りが主体と思っていたが腹のそこから搾り出すような歌に心を打たれた。
この後ドイツに行ったが、仕事を離れて実に楽しい旅であった。 記:伊藤 洋(2001-6-23) |