東欧旅行:ベルリン・プラハ・ウイ−ン・ブタペスト 10日間

 春まだ浅い東欧を、特にウイーン・プラハを楽しみに、このツアーに参加しました。

4月18日(水): 成田−フランクフルト−ベルリン
 成田発のLufthansa航空で機中の人となり、Frankfurtで乗り換えてBerlinに到着した。外気はとても冷たく、まだ冬の寒さが残っていた。宿は東地区の外れに有るConfort Hotel。この地域は、空き地・工場・アパートが混在し、道路は、恐らく軍需用に建設されたであろう、片側4車線・中央に路面電車と幅広く整備されている。空港からホテルまでのバス内で、日本人バスガイド(Berlin滞在10数年)から、統一前の東独の悲惨さを切々と聞かされた。彼女は、翌日も観光の合間に、これが自分に課せられた宿命であるかの様に、東西の壁に関わるエピソードを語り部の如く、時に涙声で詰まりながらの説明であった。

ベルリン郊外の道路 ベルリンの壁

4月19日(木): 午前:ベルリン市内観光、午後:自由行動
 まず、東西分断の象徴として1部保存されている"Berlinの壁"を訪れる。全長62km、高さ3.6mあったとのことだが、見た目では意外に低く感じられる。梯子を使えば簡単に超えられそうだが、500m毎に監視塔が設けられ、逃亡者を発見すると射殺する、犠牲者239人との事。Brandenburger門"は改修中で、実物は見られなかったが、モニュメント・飾り門でお茶を濁される。トルコのBergameで発掘された古代遺跡(紀元前160年のヘレニズム様式の祭壇・市場門)を展示している"Pergamon博物館"を見学する。建築物をそっくり移設したその壮大さに驚き、大国のエゴを思う。 車内から、ソニービルと富士山のモニュメントを眺め、改めて日本企業の勢いを感じた。午後は、昼食後自由行動.、市バスで繁華街"Ku-damm"に出て散策。Henckelで妻の念願の包丁・小生の鼻毛ハサミを購入する。包丁は刃が厚く、とても重くて日本の牛刀よりずっと使い易い(これでお母さんの料理の腕前があがりそう)。帰途、にわか雨に遭う、幸い傘を持参していたので助かる。再び、市バスでAlexander広場に戻り、デパートで買い物する。ドイツのチョコも生クリームをふんだんに使ってありナカナカノ味。車窓より眺めていると、雨がミゾレに変わり、ヒョウらしきものが降ってきた。まだ冬の名残の不安定な天候であった。デパート横のタクシー乗り場で、乗車しホテルへ直行する。


Brandenburger門 Pergamon博物館

4月20日(金):ベルリン−ドレスデン(市内観光)−プラハ
 バスで東独Sachenの州都Dresdenへ。ここのレストランで昼食. 黒ビールの大ジョッキを注文したら、1リットルのでかいやつ、味はまろやか(日本のアサヒとキリン黒ビールの中間位)だったが、飲み干すのに四苦八苦。観光の途中で何度もトイレに駆け込む羽目に陥る始末、以降昼食時はワインに切り替える。トイレの度に無駄時間を浪費し、マイセン磁器を買い損ねた。ここでのガイドは新人の若い男性、まだトイレタイムが頭に入っていない。徒歩でElbe川に架かるAugustus橋を渡り旧市外へ。Zwinger宮殿の泉、Dresden宮殿の外壁画(マイセン陶板製の大公行列壁画−小さいタイルを多数組み合わせている−写真で見るよりも実物はずっと大きいのにビックリ)を眺めた後、バスでPrahaへ向かう。途中、ドイツ・チェコ国境でパスポート検査、duty freeの戻り税手続、チェコ通貨(Koruna)への両替を済ませる。初の陸路での国境手続で少し緊張した。検査官が車内に乗り込んで一人ずつのパスポートチェックでした。宿は、Duo Hotel.、夕食はビアレストランで、流しの生演奏を楽しむ.日本の歌も歌ってくれました。

Dresden宮殿の外壁画 ビアレストラン

4月21日(土): 午前:プラハ市内観光 午後:ボヘミア古城観光
 Czch の首都Prahaは、スメタナが交響曲"わが祖国"に謳うVltava川が中央を貫き、その川岸にPraha城を有している。 城内の聖Vita教会を見学、ステンドグラスは、アールヌーボーの芸術家によるもの、作者の名前が記されている。旧王宮・聖Jiri教会を抜け、黄金小路を散策する。路端では、若い芸術家が、夫々自作の水彩画・版画を並べて、客に呼びかけている 。つられて、Praha城の版画を1枚求めた。歩いてKarlu橋を渡る、 Vltava川に架かる石橋で、橋の両端には塔があり、橋の欄干には30体の聖人の像が並んでいて、路上は歩行者天国で露店や観光客で賑わっている。ショッピングタイムに、青色でカット模様のはいった、ボヘミアングラスの花瓶を購入し楽しんだ。

Praha城 Vita教会・ステンドグラス

 昼食は、旧市民会館内のレストランで、とても素敵でした。昼食後、オプションのボヘミア古城観光する。城内は壁面・天井に絵画・彫刻が施され、暖炉・家具調度も多数残され、往時の権力を偲ばせる。夕食時には、2名の誕生日会となり、ケーキが振舞われた。田中ご夫妻に、ビールをご馳走になりました。部屋のバスタブ上面が高過ぎて危ないので、脚立を借用し利用した、こんな細かい所に、旧共産圏の悪弊を見た。

ボヘミア古城内 バスタブと脚立

4月22日(日):プラハ−チェスキークロムロフ−ウイーン
 Prahaを発って3時間後、Cesky Krumlovに到着. Hotel Goldにて昼食、鱒の塩焼きを食す、Good!! 聖ヴィート教会を経てCesky Krumlov城へ。1253年ウィテク家により創建されて以来、統治者が移り変わり、代々増改築され、その景観は1992年世界文化遺産となって現代に引き継がれている。旧市街と城の周辺は、車の乗り入れが禁止され人の往来も少なく、まるでお伽の国の様な、13世紀のたたずまいがそのまま保存された空間でした。ここは妻の、今回の旅の1番のお気に入りでした。城で一番古い塔・170段の螺旋階段を登った。塔上からの眺めは、売店で買った絵地図に描かれた鳥瞰図そのものの、まさに中世のお伽の世界を思わせる。塔内に備わる鐘を鳴らした. 思い切り力をこめて撞くと、耳元で鼓膜が破れんばかりの音が弾け、暫くは反動で往復しながらの音が続いた。遠くで聞く軽やかな音も、近くでは斯くも激しき物かと恐れ入った。仲澤夫人は、小学校時代に旅順で果たせなかった階段登りを達成したと喜んでいた。広場の売店で、素敵な木製の操り人形を買った。チェコ・オーストリア国境で、先日同様、パスポートチェック・戻り税・両替を済ませ、一路ウイーンへ、Hotel Mateに宿泊。

Cesky Krumlov城 塔上からの眺望

4月23日(月): 午前:ウイーン市内観光 午後:自由行動
 まずフランスのヴェルサイユ宮殿に対抗してハプスブルグ家の夏の宮殿として造られたShonburunner宮殿へ。その後、フランツ一世の妻・マリア・テレシアにより改修され、彼女の好みの黄色で統一された宮殿は、ウイーン会議の舞踏会やケネデイー・フルシチョフ会議に使用されたことで有名。次に、トルコ戦争からウイーンを救った英雄プリンツ・オイゲン公の夏の離宮だったBelvedere宮殿へ.何れもその雄大さ・美麗さ、そしてその歴史の重みは、ヨーロッパ随一と言っても過言では無いと思う。

Shonburunner宮殿 Belvedere宮殿

 昼食の、黒スグリのジュースはとても美味でした。 昼食後王宮へ。新王宮・旧王宮・レオポルト翼から成る広大な王宮には、1部博物館や大統領官邸等に利用されている。Holden広場には観光用の馬車がスタンバイしていた。 伊勢丹でショッピング後に自由行動となる。
 電車でホテルに戻り正装し、オペラ座に向かう.インターネット・FAX・電話で1ヶ月前に予約していたので、切符売り場でチケットを入手する。 開演まで時間があるので、ザッハトルテ(チョコレートケーキ)の元祖として知られるSacher(Hotel Sacher内のカフェ)で軽い夕食を摂る。ワイン・ジュース・ソーセージ、デザートにザッハトルテとコーヒー。ソーセージには芥子とラデッシュ(大根の一種)が添えられていたが、涙が出るほど辛くて、しばらく声が出ない。演目はウイリアムテル(Guillaum Tell)、言葉は解からないままに、筋書きを思いながら、オーケストラの奏でる音楽と歌手の朗々たる美声を堪能した。舞台装置は簡素で、布に描いた背景と、おもちゃの様に小さな民家の模型程度. 村の長老とハプスブルグ家の姫は伸長5mもある車輪付き人形に乗って現れる。テルが弓で息子の頭に載せたリンゴを射る場面に興味を持ったが、人が手渡しで矢を運び、リンゴに当てるという手法であった。丁度、歌舞伎の抽象化された所作と同様のイメージ手法だった。幕間の休憩時間には、ロビーは燕尾服やイブニングドレスで着飾った紳士淑女が集い、談話の弾む社交場であった。見ているだけでため息の出る見事な光景でした。3階ボックス席の2列目だったが、料金は8000円程度と安かった。

国立オペラ座 オペラ座・舞台と客席

 4月24日(火): ウイーン−ドナウベント−ブダペスト
 オーストリア・ハンガリー国境へ1時間、同様にパスポート検査、両替等を済ませ、Danube Bend/ Esztergom-Visegrad-Szentendreに向かう.。Esztergomで昼食後、Hungary最大の教会・カトリックの総本山である大聖堂を見学する。Visegradでは、13世紀なかごろに315mの山頂に造られた要塞跡に登る.元気な中年女性2人組(中村さん・比嘉さん)と頂上を征服する.ドナウの曲がり角・景色が素晴らしい.帰路土産品オカリナを買う、音を奏でるのが難しい。

Danube Bend

 最終目的地のBudapestに到着、ホテルはMercure Buda、ここでトラブル発生。部屋の鍵が内側からロック出来ない. 受付に電話で部屋変えを頼むがダメ、エンジニアを寄越して修理させると言う。間もなく、工具を持った職人が来て、鍵穴の金具を修正し、なんとか直す。しかし当方の確認を得ずに帰ろうとするので呼びとめて確認させる。その後夕食のため部屋を出て、外側からロックの確認をすると、これが又ダメ! 改めて部屋変えを要求するが、さっきと同じで職人がやってきて修正する、直ったが又確認せず帰ろうとする、堪忍袋の尾が切れた。食事中に、添乗員と現地ガイドに事情を話し@こんな鍵では安全が保てないし、もし盗難に会ったら全額弁償してもらう。そうなる前に部屋変えしてくれ。 A鍵の不具合は当然、担当従業員が知っていた筈なのに放置されているし、職人は修理後の対応がなっていない。この様な管理不行き届きは、共産圏の悪弊が残っているのだ。責任者(マネージャー)に謝罪させろと抗議した。しかし、何度頼んでも部屋は満室で空室は無いと言う、 安いツアーで安い予算だから応じたくないことは理解できる。しかしここで引き下がるとナメラレルのでスイートは空いているだろうから、スイートでも良いよと反論し粘ったところ、遂に担当者が現われ、応接間が付随した立派な部屋を提供してくれた。その上、夜遅く果物籠が届けられた。彼らも、共産圏の名誉にかけて対応してくれたのだろう。矢張り、主張すべきは主張すべきだと、納得した。

4月25日(水):午前:ブダペスト市内観光 午後:自由行動
 Buda側では、Gellertの丘と王宮の丘を訪ねる。Gellertの丘で、ナチスドイツからの解放記念碑(月桂樹の葉を持つ女神像)を眺め、王宮の丘では、鎖橋、漁夫の砦を眺め、カトリックとモスクの混合様式を持つMatyas教会を見学する。 Pest側では、英雄広場で降り公園・ヴァイダフニヤド城を散策。 昼食後、聖Istvan Bazilika聖堂を見学、聖Istvanの右手のミイラが安置されていた。

解放記念碑 鎖橋

 午後フリータイム、妻を残し一人で電車でGellert温泉に行く。アールヌーボー様式の一階は温泉と温水プール、二階は屋外プールが2面ある。入り口で水着を借り、ロッカーで着替える。何れも湯温は低く、10分も浸かっておれば風邪を引きそうになり、早々に引揚げる。ホテルに戻り、妻と地下鉄でショッピングに。Herendの専門店でテイーセットを購入する。日本の価格の1/2-1/3位か? 地下鉄車内で、ひと駅間で全停電となり真っ暗だったが、車内放送も無く恐怖を覚えたが、乗客は一言も発せず、しごく当たり前の態であった。最後の夜、レストランでジプシーショーを楽しんだ。

Gellert温泉プール ジプシーショー

4月26日(木)−4月27日(金): ブダペスト−フランクフルト−成田
 帰りもLufthansa航空、いつものことながら10数時間の飛行機内は狭くて身動き出来ずつらい。機内食の蕎麦は美味ではないが、なんとなくホットする、有り難味でした。

 エコノミー症候群、時差ボケもなんのその、出来あがった写真を整理しているうちに、疲れも忘れて次の計画を!! チェコとウイーンはもう一度ゆっくり散策したい街並みでした。

記:片山 正晴(2001-6-9)