南アルプス鋸岳(鋸尾根縦走)登山記

三角点ピークから鋸岳山頂(第1高点) 鋸岳山頂にて、新井プロ(右)と

 山の会が参加を許可しない、なぜ?

 今年から日本二百名山への挑戦を目標に掲げる。体力は60歳を超えると、年々確実に減退してくる。(私は、会社の体力テストで、毎日走っていても、45歳から確実に年々体力が減退するのを数値で知っていた。) ならば、体力のあるうちに難しい山から登ろうと戦略を立てる。

 日本二百名山の中の岩山で最も厳しい山、南アルプスの鋸岳に焦点を合わせる。まず、個人でこの山に登るにはリスクが大き過ぎる。山の会に入ろうと、雑誌「山と渓谷」で探す。近場の日和田山で講習を実施しているのは、あの岩崎元郎の“無名塾”と“M&M倶楽部”しかない。5月に“M&M倶楽部”の初級用ロッククライミング教室に参加する。“M&M”とは“美紀雄&美千子”の略。夫婦で主催している山の会である。“無名塾”で講師をしていた2人が結婚し独立した山の会である。参加者が4〜5名で、安全第一に丁寧に教えてくれる。年会費が1800円と安いことも魅力で入会する。9月に入り、10月に「鋸尾根の縦走」を行うというので申し込む。会の案内には「総合力を要する山です。スピーディな行動、浮石の多い場所の通過、ザイル操作、甲斐駒ガ岳の登り、黒戸尾根の下降。山をオールラウンドに経験を積んでいる方が対象です。」となっている。

 申し込むと「NG」の判断がくる。「いくら本人が自信があるといっても、実際どの程度の力があるのかわからないから」という。「ほとんどの人が、自分は自信があるといいますよ」「ヘルメットやハーネス(岩登り用の必須品)などの装備品も持っていないのですか」と電話では話が前に進まない。
 「9月23日に日和田山での講習会に参加するからみてくれませんか」という。岩登りの装備品を一式購入し、お彼岸の中日、雨の中、日和田山で講習を受ける。参加許可を直談判で頼み、やっとOKとなる。

 反省点の2項目は今後にいかす!

 10月7日(土)9時小淵沢駅集合であるが、家を早く出すぎる。時間があるので、韮崎ICで中央道をおりる。 鋸岳が一番よく見える箇所を探し、写真を撮る。甲斐駒ガ岳が特に立派に見える。小淵沢町役場前の無料 駐車場に車を置く。100リットルのザックの上にヘルメットをのせると頭より高くなる。“M&M倶楽部”の新井プロと森・中西のメンバーは8時54分にあずさ1号で到着。早速、「荷物が多すぎるよ」と言われる。「寒がりな者ですから」と弁解する。タクシーで富士川上流の釜無川沿いの車止めまで行く。9時40分、ここから川沿いの道をさかのぼって行く。この道は砂防ダム工事のダンプなどが結構通る。その度に砂埃に巻き込まれる。3人の歩く速度が遅いので、先に行っては待つことを繰り返す。1本道のため同行者とはぐれることはないと考えていた。11時半頃、先行して待っているといくら待っても同行者が来ない。おかしい。何かトラブルが発生したと考え、引き返す。30分くらい引き返すが出合わない。 慌てふためいて歩いていると、工事用のトラックが止まり、「連れの3人がずっと上流を歩いているよ」と教えてくれる。1本道なのになぜ先に行っているのか? 再度、上流に向かって急いで歩き出す。暫く歩くと、別の工事用の車が来て、「3人連れがずっと先を歩いているよ、乗せてあげよう」といってくれる。言葉に甘えて乗せてもらう。かろうじて工事用の車が入れるギリギリのところで追いつく。1本道とばかり考えていたが、3人は近道の川沿いの道を通ってきたという。このトラブルで昼食を食べる時間を失い、かつ、あわてたためスタミナの消耗が激しい。

 グループ山行では、単独行動を慎むこと。(反省点-1)
 車道が終わると、登山地図では川沿いの点線の道となる。とにかく、道しるべがない。初めての人だと道に迷うこと請け合いである。13時半頃、富士川の源流地点で水が湧き出している箇所に到着。水の補給と昼食を掻き込むがのどに通らない。水を4リットル補給するとザックの重量が25kgとなり、ズシッと重く感じる。ここからの1時間強が急登の連続である。自分の背が高いのと、ザックが高いことから、木の枝にザックが何回も引っかかる。 急登でガクッとひっかかるとそこから抜け出すのに力がいる。
 15時、テント泊場所の横岳峠に到着、ホッとする。新井プロは4人用テントとフライシート、径10mm×100mのロープを入れてザックの容量が自分のより2割は小さい。

 何をもって行くか、どうパックするか見直す必要がある。(反省点-2)
 今回は5月連休の山での寒さにこりて、シュラフも冬用を持って来たため寒さは感じなかった。標高2000mの横岳峠は静かである。時々、遠くで鹿の鳴き声が聞こえる。枯葉がテントに落ちてくるカサッという音がするだけである。

 鋸岳の核心部を体験

 10月8日(日)4時起床。空には星が光輝いている。ヘッドランプを付けてザックへのパッキング作業を始める。5時すぎには明るくなる。正面には北岳が三角形の山頂を、右手には仙丈ガ岳がはっきりと間近に望める。6時過ぎ出発。いきなり標高差600m強の急登だ。ここでザックの上部がまたしても何回も木の枝に引っかかり体力を消耗する。2500m付近になると展望が開けてくる。この辺りは紅葉が真っ盛りで美しい。9時40分最高峰の第1高点へ登頂。
 「日本300名山ガイド」では、ここで引き返すことになっている。今日は3連休のなか日にあたり、登山者が1年で一番多い日と言えよう。この山には今日7〜8組の登山者が入っている。北アルプス、中央アルプス、八ヶ岳、北岳、仙丈ガ岳、目の前の甲斐駒ガ岳など展望抜群である。しかし、気持は展望どころではない。ここから第2高点までが、鋸尾根の核心部である。最大の難所は大ギャップである。50mの断崖絶壁を懸垂下降でおりる。岩がオーバーハングしていて、途中から中吊り状態での下降となる。中吊りの箇所で体が振られ手で岩壁を押さえたとき手に怪我をする。二つ折の100mのロープの端末付近でかろうじて地面に足がつく。大ギャップの底に降り立つ。ここから距離にして150m、斜度40度のガレ沢をくだる。このガレ沢は浮石の積み重なりである。ここの浮石は体重をかけるとずるずるとずれ落ちていく。両手も使い3点確保で座りのよい石をさぐりながら降りる。時々、側の岩壁から岩がうなりを生じて落ちてくる。身の毛が立つようなすごいところである。鋸岳は大きくは5本の刃(ピーク)で成り立っている。各ピークは標高差100m位の高さがある。しかも、急勾配ときているから今日は本当に疲れた。15時、今日のテント泊場所である甲斐駒ガ岳六合目石室に着く。最後の力をふり絞り、新井プロと水場へ水汲みに行く。水場といっても、これも急斜面の谷へ降りて行って水がチョロチョロと流れている場所を探す。登り返す時、両手両足を使わないと登れなく、結構難しい岩登りとなる。宿泊場所の石室の内部は床がなく4m×4mの広さ。雨が降り始め、この中に4組がテントを張る。隣のテントは30代前後、女性2名男性3名の若者のグループ。ラジオの気象情報を聞いて勉強会をやっている。山に対し真摯に取り組む姿勢をもっている人のみを受け入れる山であると思う。

 甲斐駒ガ岳から黒戸尾根道へ

 10月9日(月)4時起床。ヘッドランプをつけてザックのパッキング作業を始める。6時に石室を出発。甲斐駒ガ岳の山頂を目指す。登るにつれ、みぞれまじりの風雨が強くなる。1時間も登ると風のため体が飛ばされそうになる。途中、30m位の高さの大きな岩盤の登りで、ハーネスをつけ、命綱をつけて登る。新井プロは安全に対する手抜かりがない。 8時半甲斐駒ガ岳山頂着。
 ここで北沢峠からバスで帰る3人と別れ、1人で黒戸尾根道を下ることにする。紹介を忘れたが、あとの2人は孫がいる60歳前後のおばちゃん。岩登りは強い。“M&M倶楽部”は会員100名のうち9割が女性。
 さて、黒戸尾根道の特徴は、日本の駒ガ岳の中で一番歴史の古い信仰の山への 参道である。苔むした祠、石仏が登山道脇に多い。特に、五合目から上は次から次へとピラミッド形の岩峰があらわれる。その難所はクサリ場とハシゴ場となっている。いかにも神の山という雰囲気がある。研究熱心な皇太子殿下がこの道から甲斐駒ガ岳に登られたというのもうなずける。また、標高差が2400mあり、登りは7合目あたりで1泊、下りは一気にとなるが、膝に損傷を持っている人には厳しい。
 普段私は、下りは小走りで標準地図時間の×0.6でおりるが、今回はそんな元気はない。最後は気力で歩き×0.95の時間であった。登山道の下の方は、粘土質の滑りやすい道であったが、尻餅を1度もつかないで降りたことを良しとしたい。
 帰り、中央道が笹子トンネルから一宮御坂まで30km近い渋滞となっている。甲府南ICでおり、140号線の秩父径由で3時間弱で日高市高萩の自宅に帰宅した。今後、この道を大いに活用しよう。

記:大澤 敏夫(2000-10-13)