ヨーロッパ旅行記

 ドイツ編 (2000-5-28〜5-31)

 平成12年、西暦2000年5月28日初めての海外旅行だ。夫婦そろって行くのは初めてで、私は昭和59年に社用でヨーロッパと中国に出張ででかけた経験がある。その時にスイスの山並みが美しく、よいところだと感じ、女房に定年後は、ヨーロッパに行こう、と約束していた。その約束が実現する日だ。

 1日目、名古屋空港を7時30分の便で、成田に向かう。成田からフランスのシャルル・ドゴール空港に降り立ち、乗り換えてドイツのフランクフルトが目的地だ。フランスまではおよそ12時間、そこからドイツまでは1時間ちょっとだったろうか。

 ツアーの総勢は34名だった。やはり中年以上の夫婦ずれが多い、8組ほどいただろうか、女性だけのグループもいた、女性だけでひとりでの参加も2人いた、若い夫婦が1組いた、やはり女性が多い。添乗員は名古屋から一緒だったので心配はなかったが、成田空港でちょっとしたハプニングがしょうじた。「ツアーの方は、この辺で座って待っていてください。私が迎えにくるまでは」という添乗員の言葉に従っていた、ところがいつまでたっても添乗員は現れない、近くに同じツアーマークのワッペンを付けた夫婦ずれが2組いたので、話しかけたところ私たちも添乗員が、「ここで待っていて」ということに従っているとのこと、もう少しの間待ってみようということになった。しかし、それでも添乗員は現れない、搭乗の時間もせまってきて、このままではまずいと感じ、われわれを含め3組の夫婦は搭乗手続きをすべく、持ち物検査、出国手続きをすませたが、出国手続きの書類を書くのを間違えたり、時間も迫っていたので慌ててしまった。

 手続きを済ませ搭乗口に行ったところ、ほかの人たちはすでにみな集合していた。添乗員に文句を言ったが、それほど大変なこととはおもっていなかったようで、かるく聞き流されたかんじだった。この先が思いやられる。

 二度目のハプニングがすぐにやってきた。フランクフルトの最初のホテルでのこと。ルームキーを渡され部屋の鍵をあけようとしたが、鍵があかない。ほかの人たちも悪戦苦闘しているが、なんとかあいたようだ。鍵があいた部屋の人がきてくれて、あけるのにコツがあるようです、といってあけようとしたが、われわれの部屋はあかなかった。このように鍵があかない部屋か3部屋ほどあった。添乗員に連絡をとったが、どこにいったか連絡がつかない。もう添乗員は頼れない、ほかの3部屋の人たちも必死であけようとしているが、やはりあかない。私は、フロントに行くことを決意した。鍵をもって4階から1階のフロントにおりた。フロントはチェックインの客で混雑していた。ドイツ語はわからない。英語もわからないが、片言と、あとはジェスチャーしかない。若い女性のフロントウーマンに「ドアーオープン・ノーグット」といって、鍵を廻すそぶりをした。なんとか通じたようだが、チェックインの入力をしているのか、手が離せないらしく「ジャストモーメント」といはれ、待つしかなかった。
 しばらくして、若い男性のホテルマンが、とおりかかったので、先ほどと同じことをいった、ホテルマンはわかったらしく、うなずいて私の手から鍵をとり、ついて来いというジェスチャーをした。4階では、まだ部屋の鍵があかず往生していた。ホテルマンは、あたりまえだけど、なんなく鍵をあけた。ちょっとコツがあるらしい。左にちょっと廻し、それから右に廻すらしい。それもドアーをちょっと持ち上げぎみにしてである、これではわからない。日本人以外のお客さんはどうしているのだろう。

 それから、エレベーターの表示が不親切きわまりない。エレベーターを待っていても、いまエレベーターがどこにいるのかの表示がない、いきなりドアーがひらく。一般的にはエレベーターが上にむかっているのか、下にむかっているのか表示がある。しかし、それがまったくないのだ。このホテルだけかとおもっていたが、行く先ざきのホテルがそうだった。アメリカからきたというご婦人は、これはダメだといわんばかりに両手を下で小さく広げ、肩をつぼめてみせた。これもヨーロッパの文化というのだろうか。

 ともかく明日からは、ドイツ観光だ。だとはいえ、外はまだ明るい、もう9時30分だ。10時にならないと暗くならないそうだ。これでは、なかなか寝る気にならない。緯度のせいなのだろう。

 2日目も天気は、まあまあだ、日も差している。今日から4日間バスの移動となる、4日間同じバス、同じドライバーだという。ドライバーはヘイマンさんという中年の、ドイツ人特有の気難しそうな、鼻の下にチョビひげをはやした男性だ。ガイドはついていない、添乗員が兼務するらしい。

 今日は、まずライン川下りだ。バスでリューデスハイムというライン川の小さな街からから観光船に乗る。おみやげ屋さんがこぎれいに並んだ、すてきな街だ、窓辺や軒先のいたるところを花でかざっている。町並みをきれいにし、きた人びとに心のやすらぎをすこしでもというような、心配りがみられる。日本人観光客が多いのだろう、日本円OKという表示が目に付く。

 いよいよ、2時間あまりの船旅となる。景色がよくみえる、船の一番前に、室外の席をじんどった。船が動きだし、川風がさわやかだ。両岸にはいたるところに、城や城跡が点在する。ヨーロッパは古いものを大事に保存するという、証しのようにおもえる。そうこうしているうちに、さわやかな川風とおもわれていたが、寒さを感じるようになってきたので室内にはいった。そこは、レストラン風になっていて、軽食や飲み物が用意されていた、せっかくドイツにきたのだからと、ドイツの白ワインをふたりであじわった。すごくおいしく感じた、場所か、雰囲気かわからないが。ここにも日本人は大勢いた、他のツアー客もいた、これでもきょうは日本人が少ないほうだと、ワインの試飲を薦めているふたりの日本人女性がいっていた。私たちもそのワインの試飲をしてみた。
 一般的なワインから貴腐ワインなど6種類ほどを試飲した。びっくりしたのは、こんなにもおいしさが違うものかと感じたからである。とくに甘味が違う、貴腐ワインは上品な甘味で、これは、はじめてあじわった。しかし、値段をきいて、またびっくり。値段からいえば、おいしいのがあたりまえだとおもう。よく日本では、TVの番組で高級ワインも並のワインも、味のみわけがつかない、場面がでてくるときがある。高級ワインをのんだことはないが、この船内でのんだ高級ワインは、普通ワインとはぜんぜん味わいが違っていた。

 われわれは、「6本以上買われると自宅までの送料無料」のことばに薦められて、中間的な「アウスレーゼ」という地元リューデスハイム産のワインを注文した。あとで、本当にとどくのだろうか、とちょっぴり心配になったが。そうこうしている間に下船地の、サンクト・ゴアに着いた。他の日本人ツアー客は、さらに下流にいくようだ。われわれのツアーは、中世の町といわれるハイデスベルグにバスで向かう、ハイデルベルグはネッカー川のほとりにある小さな町だ。小高い丘の上にハイデルベルグ城がそびえて建っている。ゴシック、ルネッサンス、バロック各時代の建築様式がみられるというが、不勉強な私にはよくはわからなかった。城の地下に収蔵されているワインの樽は、22万リットルも入る巨大なもので、年貢として領内から取り立てたワインを保存するためのものだそうだ。高さが10m、横が20mぐらいあるだろうか。城からは、市街を一望に見おろせる、ヨーロッパの街はどこもそうだが、屋根の色がオレンジ色に統一されていて、このように上空から町並みを見ると、それは美しくみえるものだ。それと電信柱がほとんどないのが、町並みをすっきりさせている。

 ハイデルベルグで昼食となる。ドイツだからソーセージ料理だった、フランクフルトソーセージが主体だったが、ジャガイモを炒めたものは、まずまずおいしかった。昼食後は、古城街道といわれる古い町並みが点在する、田舎道をバスハイクでローテンブルグという「中世の宝石」と賞される街の郊外に宿泊する。明日は、そのローテンブルグ観光で、その後ロマンチック街道をけいゆして、ミュンヘン入りだ。

 3日目、今日も天気はまずまずだ。ローテンブルグ市街の観光だ。ローテンブルグの街は、周りを高い城壁に囲まれていて、いまでも中世の面影を残している。街の中心部には、市庁舎とマルクト広場があり、市庁舎の横に立つ15世紀の建物で、マルクト広場側に仕掛け時計があり「マイスタートウルンク」と名づけられ、毎日定刻になると時計の左右にある窓が開き、人形が大きな杯を飲み干す仕草をする。そんなことで、このマルクト広場は人気を博しているようだ。ちなみにマルクトとは、マーケットという意味だそうだ。だから、中世のころは、この広場にお店がでたりして賑やかだったのだろう。

 その他、ここには中世犯罪博物館や人形とおもちゃ博物館、サンクトヤコブ教会などがある。教会の内部は、どこでもそうだが、彫刻がすばらしく、よく古いものを大切に維持しているものだと、感心させられる。午後はロマンチック街道縦断のバスハイクだ。丘陵地帯や牧場地、たまに町並みを通るくらいで、ちょっと退屈なバスハイクだ。気難しそうなドライバーのヘイマンさんは、歌をハミングしている。気難しそうな感じだったが、そうではなく、けっこう陽気なのである。日本人ツアー客へのサービスか、曲はどうやら「上を向いて歩こう」のようだ。

 ここで、ちょっとした騒動が持ち上がった。ツアー客のひとりの男性がトイレにいきたくなったのだ。添乗員に遠慮がちにいっていた「バス止まれませんよね」と。「あと30分ぐらいです。我慢してください」かなりキツイ調子で添乗員がいった。そのうちに、周りの女性たちが騒ぎ出した。「添乗員さん、バスを止めてやってください、こんなに苦しんでいるんですよ」「男性なんだから、タチションだっていいじゃない」という声まで出た。添乗員は「ここは日本ではないのです」そんな訳にはいかない、といいたいのだろう。女性たちは、まだ黙っていない。「近くの民家のトイレを借りてください」 添乗員はドライバーのヘイマンさんと何やら話していたが、バスは黙々と走り続ける。しばらくして、ガソリンスタンドらしき建物が見えてきた。さあー、女性たちは「スタンドがあります。スタンドがあります。バスを止めて!」とどなるようにいっていた。バスはスタンドに停車した。なんとなくホットした。

 でも、あの女性たちの行動はなんだったのだろう。自分たちのグループの人ではないのだ。その男性は、中年の夫婦ずれなのだ。私は、前のほうに座っていたので、後ろの方の状況はつかめなかったが、女性のパワーを知らされた思いがした。そんなことで、とんだロマンチック街道になってしまった。街道のところどころに「ロマンチック街道」の日本語の看板が目に入った。ここを「ロマンチック街道」と名づけたのは、日本人だと聞いたが、真意のほどは、さだかではない。

 夕方、ミュンヘンに着いた。まず、訪れたのが中心部のマリエン広場だ。ここには、新市庁舎があって、その建物がすばらしい。ネオ・ゴシック様式とかで、1867〜1909年の建築で、尖塔は80mの高さがあるそうだ。その尖塔部にある仕掛け時計は、ドイツ最大のものだそうだ。1日3回、鐘の音とともにすべての等身大の人形たちが動き出す。それはみごとなものだった。
 このころから雨が降り出してきた、傘をさしながら鐘の音と仕掛け時計を眺めた。夕食は、本場ビアホールにてショーを見ながらのドイツ料理とのうたい文句だったが、どんな料理だったか、ほとんど記憶がない。そのていどの料理だということである。ショーも、うたと、少々のおどりだが、退屈して昼間の疲れもたまっていたのか、早くホテルに帰りたい、とこぼしている人もいた。さあ、明日はいよいよノイシュバンシュタイン城だ。

 4日目の朝は、どんよりと厚い雲がたちこめ、いまにも雨が降ってきそうな天気だ。ノイシュバンシュタイン城、別名、白鳥城の途中で、小さな村にひっそりと、ただづむヴィース教会に立ち寄った。外観は、なんの変哲もない建物だったが、中に入ってびっくり仰天した。あまりの見事さに、である。色彩ゆたかな彫刻が四方に、天井にもだ。パイプオルガンも立派で美しい。なんで、こんな辺鄙なところ、といっては村民に失礼かもしれないが、こんなところにという感がつよくした。添乗員の話しでは、なかなかここに案内する、ツアーは少ないということだ。

 さて、バスはどんどん白鳥城に向かう、ところが雨もますます降り出してきた。行く先に雨にけむるノイシュバンシュタイン城がみえてきた。この城はかなりの高台にあり、観光バスは下の駐車場に止め、観光客はマイクロバスに乗り城に向かう。城に入るには、あらかじめ時間の予約をして、決まった時間に決められた人数を入場させる。城を永く保存するための措置のようだ。内部は、またまたすばらしい。絵画や彫刻、昔のままの調度品などなど。私は、この城をあまり期待していなかったが、少し認識を新たにした。雨だったのが、少し残念だったが、そぼ降る雨にけむる城も、またいいものだ、と思うしかない。城からの帰り道は、坂を歩いて下った。下で昼食が待っている。昼食後は、またバスに乗ってスイスのインターラーケンまでの長旅だ。ドイツともここでお別れだ。雨もあがってきたようだ。明日はスイスの山が眺められるだろうか、どうか雨だけは降らないでくれ。

記:佐々木 武(2000-08)