大坂城
(エンピツ画)


<<補足説明:大坂城>>
 城は大阪の上町台地の北端に位置する。かつてここには、石山本願寺の堅塁と寺内町があった。戦国時代の末ごろ、山城の山科本願寺が兵火に焼かれたので、8世蓮如はその本坊を大坂の石山に移した。当時の大坂は淀川に臨んだ丘陵地帯で、東を大和川が流れて淀川と合し、三面を水にかこまれた難攻不落の要害の地であった。蓮如はここに八丁四方の堂々たる城構えの坊舎を築き、石山の城郭といわれた。天下統一を志す信長にとって、一向宗徒は大きな敵対存在であった。天正4年(1576年)最後の総攻撃を開始した。本願寺側もよく戦ったが、天正8年ついに明け渡しとなった。その石山の跡地に豊臣秀吉が天下統一の拠点として天正11年(1583年)から15年の歳月をかけて築き上げた。難攻不落の巨城であったが、冬の陣のあと徳川軍の手で外堀を埋められ、翌年の夏の陣で落城した。その後幕府は西国64藩を動員して元和6年(1615年)から10年かけて築城し直し、将軍の代りに城代を置いた。

<記:松本 進---2012-10-27>