岸和田城
(大阪府岸和田市)


 全国のお城めぐりをして、帰宅してから絵を描いております。絵は今から4年前から始めたのです。
 NHKの番組で、片岡鶴太郎が水彩画をやっていまして、私も水彩画をやろうと思ったのですが、お城はやはりモノクロの方が合っていて、あまり色の付けようがなく、エンピツに落ち着いたわけです。B・HB・Hの3本ぐらいで消しゴム・刷毛、それにルーペです。大きさはA−3です。
 生きてる内に100名城を目指して説明文と一緒に一冊の本にしようと思っているのです。

<<補足説明:岸和田城>>
 岸和田城は大阪と和歌山をつなぐ紀州街道の要衝に築かれた平城である。
 築城の初めは南北朝時代で、楠木正成が建武元年(1334年)、戦功によって摂津、河内、和泉の太守に任ぜられたとき、一族の和田新兵衛高家を和泉の守護とし、「岸」の地に築いたのが初めである。「岸の和田」が転化して岸和田と呼ばれるようになったといわれている。
 和田氏が足利勢に滅ぼされた後、城主は戦乱の度にしばしば代ったが、現在の規模になったのは天正13年(1585年)豊臣秀吉が根来征伐の後、この地に小出秀政を封じてからである。
 その後、元和5年(1619年)丹波篠山から松平康重が入城した。寛政17年(1640年)には、徳川譜代の武将・岡部宣勝が摂津高槻より入城した。城主は宣勝以後十三代で明治を迎えた。
 明治に入って城内の建物はすべて取り壊されたが、昭和29年(1954年)、天守閣が焼失前の天守とは無関係に設計、復興された。

<記:松本 進---2012-10-27>