新潟地震

 新潟地震では埼玉地方もかなり揺れたのではないかと思いますが、震源地にEGの元同僚の長沢さん(制御)が新潟県見附市に住んでいます。

 テレビ画面で見附市に非難勧告が出ていたので気になってメールを出したところ下記のような返事がきました。震度6の恐怖が生々しく伝わってきました。

<ガソリンと携帯の充電は、いつも満タンに!>を我が家でも合言葉にします。

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ご心配いただき有難う御座います。
我が家は家族全員無事でした。
我が家のライフラインは、水道:濁ってはいますが、止まりませんでした。
電気:25日(月曜)の夕方まで、停電していました。
ガス:昨日(水曜)やっと復旧しました。

久し振りの風呂は身体も心も温かくなりました。
今まで、震度4までは、何回か経験しましたが、震度6は、想像を絶する程の大きさでした。恐怖を感じました。
1回目の地震が、ちょうど50km/hで運転している時で、ハンドルが取られて車が故障したと思い、景色が揺れて自分の体調が変だと思い、気が付いたら車を止めていて、その時、やっと、過去に経験したLことのない大きな地震であることが分かりました。
2回目の余震では、車から降りていましたが、立っていることが出来ないほどでした。
その後も、何回も余震が続いたため、その日は、恐くて車の中で一夜を過ごしました。

たまたま、ガソリンが半分以上あったので、助かりました。
停電すると、ガソリンスタンドは閉鎖です。
わずかに営業しているスタンドは長蛇の列でした。

また、たまたま偶然にも、息子が震源地(我が家から南に30km離れた小千谷市)の友達の家に遊びに行っている時に地震が発生しました。(電話は通じなくて、後で携帯メールで分かった事なのですが・・・)次の日、通行止めと余震の続く中、メールでやり取りしながら、待ち合わせ場所を決め、なんとか息子と合流できました。

”ガソリンと携帯の充電は、いつも満タンに!”が、我が家の合言葉になりそうです。

最近はようやく余震も落ち着いてきました。
震度6レベルの余震発生確率は、10%弱に落ちました。
ただし、1ヶ月位は、注意が必要だそうです。

<<長沢さんからの追伸>>

●携帯について

今回ほど携帯のメールにお世話なったことはありません。
地震直後から、電話は通じなくなりました。
メールだけが頼りでした。ただ、あとで、メールも通じなくなる時間もありましたが・・・

息子を迎えに、震源地に行った訳ですが、震源地に近づくほど、道路の隆起や陥没により、通行止めの箇所が多くなります。また、道路が通れても、震源地には部外者をなるべく入れないように交通規制がされているため、なかなか息子の所にたどり着けませんでした。
迂回につぐ迂回で、細くて隆起や陥没している農道に入り込でしっまって、車幅ギリギリの少しでも平らな所をジグザグ運転したり、電信柱が5本位連続して道路側に30度傾いた所で渋滞にはまったり・・・
こんなところで、大きな余震が来たら自分も危ないと、恐怖を感じました。
とにかく、息子の所までは、行けそうも無いので、どこか分かりやすい所で合流する事に決め、メールのやり取りをしていたわけです。息子から、”携帯のバッテリ残量表示があと一本になってしまった”との連絡を受けました。その後は、メールの回数を最小限にし、やっと合流できました。

< ”携帯の充電はいつも満タンに!”に付け加えて、車か乾電池の充電器も必要だと、痛切に感じています。
コンビニにも当然置いてありますが、地震から3日間くらいは、パン、おにぎり、カップヌードルなどは、すべて売切れ状態が続いていました。多分、充電器も売切れだったと思います。

●ガソリンについて

地震直後から電話は通じなくなりました。母と儀父母の安否の確認のために、余震の中を車を走らせました。この時、ガソリンが無ければ、安否確認は、後日になっていました。

また、この頃から、こちらは非常に寒い季節になっていました。当日は、車の中で一夜を過ごしたのですが、寒くて、たまにエンジンをかけ、車の中を暖めていました。
私は、エンプティになっても、まだ、50km以上は走れると思い、ギリギリまで給油をしない習慣でした。
”ガソリンはいつも満タンに!”はチョット大袈裟ですが、これからは、半分を切ったら、給油するつもりです。
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山永 順一、長沢 敏明(2004-11-02)