最も危険な「インフルエンザ」ウイルス

 たった一回のインフルエンザの流行で、世界で2000万人以上の人が死んだことがあるのをご存じだろうか。それも、そう遠い昔のことではない。

 時は、第一次世界大戦も終盤にはいった1918年春。 西部戦線ではドイツ軍の攻勢が続いていた。このとき、フランス南部の米軍駐留基地に突如姿を現したのがインフルエンザウイルスである。米仏の連合軍はインフルエンザの前に戦力が急低下し、敗北に次ぐ敗北を余儀なくされる。

 ところが、ここで西部戦線に異状が起こった。8月になると、ドイツ軍に加勢してきたインフルエンザウイルスの"攻撃目標"が変わり、今度は標的をドイツ軍に向け始めたのだ。世界最強の兵員と装備を誇ったドイツ陸軍も、インフルエンザウイルスの一撃には、なす術がなかった。 結局、この西部戦線でインフルエンザウイルスに大敗を喫したドイツ軍はじりじりと退却し11月には停戦に合意、第一次世界大戦は終結する。

 気まぐれなウイルスは、その後ヨーロッパ各国を総ナメにしただけでは収まらず、南北アメリカ、アジアで猛威を奮った。日本もその例外ではなく、その年の冬から翌春までに三波に及ぶ流行に見舞われた。2500万人が病気にかかり、死亡者は38万人に達した。結局、18年春から19年春までのたった一年間で、全世界で患者は6億人に達し、死亡者数は2000万人とも2500万人ともいわれるまでになった。この大流行は「スペインかぜ」と呼ばれる。(ただしスペインは流行の発端でも中心でもなく、なぜ「スペイン」なのかは不明)。この病気による死者の数は、大戦中の戦死者の数をはるかにしのぐ。爆発的な蔓延で人類滅亡への最終感染症かといわれるエイズでさえ 感染者の数は1500万人に過ぎない。いかにインフルエンザの威力が強大であるかが想像できる。

●全身をかけめぐるウイルス
 台湾をはじめ、日本やアジア諸国で絶大な人気があった歌手のテレサ・テンさんが旅行先のチェンマイで95年5月8日、急死した。享年42歳。死因はぜんそくの発作による呼吸不全と発表された。しかし、数日前から発熱があって体調を崩していたと伝えられており、ぜんそく発作の引き金となったのはインフルエンザだったという見方が有力だ。
 このように、インフルエンザは直接の死因にはならなくても、呼吸器や心臓の病気の引き金になり死をもたらすという恐ろしさがある。
 多くのかぜウイルスが、感染の入り口となる鼻や咽喉などで増殖して症状を現すのに対し、インフルエンザウイルスは血の流れに乗り、全身のあらゆる器官、組織に到達し、思う存分に暴れ回る。強い関節の痛み、筋肉痛、激しい高熱などインフルエンザに特徴的な症状はこうして起こる。インフルエンザウイルスの攻撃ターゲットには心臓や肺などの重要臓器も入る。そして、重症の肺炎や心筋梗塞、心不全など致命的な病気の併発を引き起こしている。

●統計の影に隠れた殺人力
 天災や戦争でもない限り、人の死には一定の季節的な増減がある。例えば日本では、月ごとに死者の数を見ると秋口を底にして一月前後をピークとするリズムがある。イギリスなどでの研究で、この全死亡数のふくらみは、実はインフルエンザの流行の山とピッタリ一致することがわかっている。つまり、インフルエンザが流行ると確実に人が死ぬのだ。

 インフルエンザの殺人力は、「超過死亡」という指標にさらに端的に現れてくる。「超過死亡」とは、実際の死亡者数を、前述のリズムを加味して統計的に予測される全死者数と比較して"余分に"死んだ人の数(率)だ。
 例えば1968〜69年のA香港型ウイルスの流行時の日本人の超過死亡は十万人当たり約80人であり、日本全国では、インフルエンザのために数万人が"超過して"死んだことになる。インフルエンザ流行の規模が大きいほど「超過死亡」は増える。アメリカではCDC(防疫センター)がインフルエンザの発生動向を知る目安として、この超過死亡の動きを、週単位で集計、発表している。
 これらの死は、統計上は、肺炎や心臓病とされる。しかし、実際にはインフルエンザウイルスの殺人力による死にほかならない。
 しかも、このウイルスは感染力がきわめて強い。一旦流行し始めると、ごく短期間で学級閉鎖、学校閉鎖といった事態に至るような感染力は、並のかぜウイルスはもちろん他のどんなウイルスにもない。
(21世紀感染症研究会より)

 今、巷で猛威を振るっているインフルエンザにこんな力があるなんて!
 怖いですねぇ!!
 インフルエンザ以外にも世の中には恐ろしい病でいっぱい。 
 そして、風邪は万病の元、冒されぬよう未然に防ごうではないか!!

記:木田橋 義之(2003-02-12)