日本写真術の開祖 下岡蓮杖展

声色使い 菓子屋

 1月の末に、南伊豆へ水仙見物に行って来ました。このときついでに、下田の「郷土資料館」によってきました。通常の展示は「ペリー来航と開国の歴史」であり、いつもと変わらないのですが、特別展示として日本写真術の開祖・下岡蓮杖展があり、これはなかなかの収穫がありました。

 下岡蓮杖は文政6年(1823)下田の回船問屋の三男として生まれた。幼い頃から絵が巧みなため、江戸に出て伝を求めて幕府御用絵師狩野重川の弟子となった。ある日師の使いで訪ねた薩摩藩の下屋敷で銀版写真を見せられる。銀版の上に浮かぶ鮮やかな画像に大きな衝撃を受ける。「これからは写真の時代だ、とても絵画のおよぶところではない。」こう考えた蓮杖は写真を教えてくれる外国人に近づくため、下田に帰って玉泉寺に開かれた米国領事館の下役として働いたが、ここでは写真術の習得は出来なかった。

 やがて横浜に出て米国人の商社に住み込み機会を待つが、当時写真術は秘法であり、なかなか 教えてくれる師は現れない。

 やがて米人カメラマンのジョン・ウイルソンが来日、蓮杖は自分が描いた絵と引き換えにカメラと薬品などの一切を譲り受けることが出来た。しかしウイルソンは肝心な撮影術は教えてくれない。苦心の末やっと蓮杖が習得するのは文久2年(1862)蓮杖は39才になっていた。やがて野毛に写場を作り、やがて弁天通に、さらに馬車道に写真館を開設する。この頃の盛況ぶりを「写真事歴」は「千客雲集」と伝えている。

 添付写真のカメラは蛇腹木製の暗箱(29×29×30cm)にフランス製径3cmのレンズを備えたカメラである。蓮杖のカメラは、関東大震災、東京大空襲により焼失したが、このカメラは明治4年に蓮杖の弟子船田万太郎が譲り受け、下田で写真館を開設したため下田に残された。

 蓮杖の写真には普通の人物写真や風景写真がある、しかしこの他に町医者、書生、豆腐売りなど、モデルに演じさせた職業づくしがある。外国人のみやげとして販売した物で、後の「横浜写真」の先駆的役割を担った写真である。これらの写真の中には絵の具で色をつけたものもあり、テクニカラーと言うところか。所有しているのは、コレクターの石黒氏、丸善などが多い。

 この特別展は4月20日までやっており、この時期に南伊豆を訪れる機会があれば、一見の価値はありそうです。

記:藤田 功(2001-2-26)